岩辺季貴
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岩辺 季貴 (いわべ すえたか) | |
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生誕 |
1872年2月17日 日本・熊本県下益城郡小川町 |
死没 | 1955年4月24日(83歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
最終階級 | 海軍中将 |
岩辺 季貴(いわべ すえたか、1872年2月17日(明治5年1月9日) - 1955年(昭和30年)4月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海機1期。正四位勲二等功四級。
経歴
[編集]熊本県下益城郡小川町(現在の宇城市)生まれ。1894年(明治27年)10月、海軍機関学校卒業後、機関士候補生として高千穂に乗組み日清戦争に従軍する。1899年(明治32年)3月、ドイツより購入した八雲の回航委員として出発する。
1904年(明治37年)2月、八島分隊長として日露戦争に出征、ついで1905年(明治38年)1月、海軍機関少監に進み、八重山機関長に転じる。1906年(明治39年)1月、海軍機関少佐に進級する。1907年(明治40年)には岩辺知言(元小川小学校校長、元小川町長)の養子になる。
1919年(大正8年)6月、海軍機関少将に昇進し、聯合艦隊機関長と第一艦隊機関長を兼任する。同年12月横須賀鎮守府機関長に就任。1923年(大正12年)12月、海軍機関中将に進み、1924年(大正13年)2月、予備役となる。1939年(昭和14年)2月、退役。予備役後は、読書と謡曲を趣味とした。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
脚注
[編集]- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」19頁。
参考文献
[編集]- 小川町史編纂委員会 編纂『小川町史』小川町役場(熊本県)、1979年。
- 福川秀樹著『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。