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岸和田村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きしわだむら
岸和田村
廃止日 1912年1月1日
廃止理由 新設合併
岸和田村、岸和田町、岸和田浜町、沼野村→岸和田町
現在の自治体 岸和田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
泉南郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 岸和田町沼野村土生郷村麻生郷村
岸和田村役場
所在地 大阪府泉南郡岸和田村字百姓町
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岸和田村(きしわだむら)は、かつて和泉国大阪府にあった。現在の岸和田市五軒屋町、宮本町、野田町、上町、南上町、岸城町にあたる。

1585年天正13年)に岸和田藩が立藩され、紀州街道に沿って岸和田城下が整備されると、それまでの岸和田村は浜側と山側に分断されることとなった。当初は山側にだけ上番・下番2人の庄屋が置かれていたが、元和年間には浜側にも庄屋が置かれ、城下には各町に町年寄が置かれて、町方(岸和田町)、浜方(岸和田浜町)、村方(岸和田村)の三郷が成立した。本項は三郷の村方について記述する。

岸和田藩は領内の民政に関して「七人庄屋」という制度を設けていたが、このうちの1人として岸和田村の岸家が任ぜられていた。

歴史

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大字改編による変遷

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岸和田町合併後の1913年大正2年)1月1日、岸和田町大字岸和田に以下の6町が起立された。

  • 五軒屋町:字五軒屋敷(五軒屋町)・鍛冶屋町・寺町筋。城下廻りの市街化した区域で、鍛冶屋町・寺町は城下の北町にも跨る。
  • 宮本町:字百姓町。町名は岸城神社の宮本より。岸和田村の本集落。
  • 野田町:字東光寺。町名は野田池より。小学校名などに東光の名が残る。
  • 上町:字池ノ尻・小寺。城郭拡張時の百姓移住先で新町と呼ばれる一画もある。
  • 南上町:一部岸和田城内。他の大部分は田畑。
  • 岸城町:岸和田城内。

交通

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鉄道路線

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現在は上記の他に南海本線蛸地蔵駅が所在するが、当時は未開業。

道路

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  • 葛城街道
  • 牛滝街道

参考文献

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関連項目

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