島村矩康
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島村 矩康(しまむら のりやす、1904年(明治37年)1月22日[1][2] - 1945年(昭和20年)1月15日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲四等[3]。
経歴
[編集]高知県土佐郡初月村久万(現・高知市)出身[1][4][5][注 1]。島村民衛・千代の長男[5]。高知第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校を経て、1924年(大正13年)7月、陸軍士官学校(36期)を卒業[1][2][4]。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第38連隊付となる[1][4]。1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を優等で卒業した[1][2][4]。
1932年(昭和7年)9月、参謀本部付勤務となる[1]。参謀本部員、中国・ソビエト連邦駐在、関東軍参謀を務め、1938年(昭和13年)3月、歩兵少佐に昇進[1]。参謀本部員(作戦課)、関東軍参謀、参謀本部員(作戦課)を歴任し、1940年(昭和15年)8月、歩兵中佐に昇進[1][2][4]。
1941年(昭和16年)5月、第11軍参謀に発令され日中戦争に出征[1][2][4]。1942年(昭和17年)6月、陸大教官に転じて帰国し、兼参謀本部員となり、1943年(昭和18年)8月、陸軍大佐に進級した[1][4]。
1943年9月、大本営参謀兼連合艦隊参謀に発令され太平洋戦争に出征[1][2][4]。1944年(昭和19年)3月、中部太平洋方面艦隊参謀を兼務し、1945年(昭和20年)1月、仙頭南方で乗機が撃墜されて戦死し陸軍少将に進んだ[1][2][4]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本陸軍将官辞典』375頁では石川。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。ISBN 4875032854。