崇徳帝姫
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崇徳帝姫(すうとくていき、1105年10月以前 - 1121年)は、北宋の徽宗の第9皇女(夭逝を除いて第5皇女)。
経歴
[編集]徳妃王氏の長女として生まれた。崇寧4年(1105年)10月3日、和慶公主の位を授けられた。大観2年(1108年)2月、崇福公主の位を改授された。
政和3年(1113年)閏4月、崇福帝姫の位を改授された。宣和元年(1119年)9月、左衛将軍の曹湜に降嫁した。宣和2年(1120年)5月、崇徳帝姫の位を改授された。
宣和3年(1121年)9月、死去した。曹湜は9月16日、その葬儀の際に「粗俗無礼、凶豪肆志」という罪状で免職され、房州へ追放された。曹湜の父の曹戩(曹佾の子の曹誘の子)も「しつけが行き届いてない」という罪状で免職され、道士として出家させられた。
伝記資料
[編集]- 『宋会要輯稿』
- 『皇第九女特封和慶公主制』
- 『崇福公主特改封崇福帝姫制』