崇松院
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崇松院(すうしょういん、1838年7月15日(天保9年5月24日) - 1909年(明治42年)2月9日[1])は、江戸時代後期から明治時代の女性。尾張藩第15代藩主・一橋徳川家第10代当主である徳川茂徳(茂栄)の正室(御簾中)。父は丹羽長富。実名は政姫(まさひめ)。
生涯
[編集]二本松藩主・丹羽長富の娘として生まれる。母は側室の五味氏。高須藩主・松平義比の正室となり、1858年(安政5年)に長男の松平義端を出産する[2]。同年のうちに、義比は徳川茂徳と改名して尾張藩主を継いだ。生後間もない義端が代わって高須藩主を継いだが、1860年(万延元年)に夭逝した。
姉の矩姫は、茂徳の実兄で先代の尾張藩主であった徳川慶勝の正室である[3]。
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.164
- ^ “御三卿 一橋徳川家系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年6月2日閲覧。
- ^ “尾張徳川家の雛まつり”. 徳川美術館. 2023年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月2日閲覧。