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崇松院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

崇松院(すうしょういん、1838年7月15日天保9年5月24日) - 1909年明治42年)2月9日[1])は、江戸時代後期から明治時代の女性。尾張藩第15代藩主・一橋徳川家第10代当主である徳川茂徳(茂栄)正室御簾中)。父は丹羽長富。実名は政姫(まさひめ)。

生涯

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二本松藩主・丹羽長富の娘として生まれる。母は側室の五味氏。高須藩主・松平義比の正室となり、1858年安政5年)に長男の松平義端を出産する[2]。同年のうちに、義比は徳川茂徳と改名して尾張藩主を継いだ。生後間もない義端が代わって高須藩主を継いだが、1860年万延元年)に夭逝した。

姉の矩姫は、茂徳の実兄で先代の尾張藩主であった徳川慶勝の正室である[3]

1909年明治42年)、死去。

脚注

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  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.164
  2. ^ 御三卿 一橋徳川家系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年6月2日閲覧。
  3. ^ 尾張徳川家の雛まつり”. 徳川美術館. 2023年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月2日閲覧。