崇福寺 (岡崎市)
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崇福寺 | |
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所在地 | 愛知県岡崎市中島町道海1番地 |
位置 | 北緯34度53分16.5秒 東経137度07分17.7秒 / 北緯34.887917度 東経137.121583度座標: 北緯34度53分16.5秒 東経137度07分17.7秒 / 北緯34.887917度 東経137.121583度 |
山号 | 蘆菴山 |
院号 | 許應院 |
宗派 | 浄土宗西山深草派 |
寺格 | 元檀林 三河十二本寺 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 昌泰3年(900) |
開山 | 天祐竜山 |
開基 | 醍醐天皇 |
中興 | 応永年間 |
札所等 | 三河十二支霊場 |
文化財 | 絹本著色当麻曼荼羅、絹本著色十王図 |
法人番号 | 1180305000346 |
崇福寺(そうふくじ)は、愛知県岡崎市中島町にある浄土宗西山深草派の寺院。
概要
[編集]昌泰3年、醍醐天皇勅願寺院として天台宗昌泰寺が創建されたと伝わる。 応永年間(1394~1427)に中島城主の由良光家が昌泰寺を改宗させて、天祐竜山を開山とした。京都円福寺の末寺として宝徳元年(1449)にその名が記録されている。
永禄6年(1563)近隣の安楽寺が一向一揆を企図したとき、8世洞山祖湛は僧俗を集めてこれを阻止。徳川家康はこれを称讃し、安楽寺の寺領宝物一切を崇福寺に寄進した。洞山および9世伝盈春教、10世聴翁洞岸は家康の従兄弟に当たる。現本堂は寛永17年(1640)の建立、総門は今川義元の寄進である。
慶長7年(1602)6月16日付で朱印地30石を拝領した[1]。末寺30、孫寺32を有する中本山で、三河三檀林の一つである。末寺の大部分は幡豆郡に所在した。浄土宗西山深草派の三河十二本寺の一つである。
以下の物件が市の文化財に指定されている[2]。
指定名称 | 種別 | 時代 | 指定年月日 |
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絹本著色当麻曼荼羅 | 絵画 | 鎌倉時代 | 1987年(昭和62年)7月15日 |
絹本著色十王図 | 絵画 | 室町時代 | 1987年(昭和62年)7月15日 |
脚注
[編集]- ^ 『新編 岡崎市史 近世 3』新編岡崎市史編さん委員会、1992年7月1日、117頁。
- ^ 岡崎市指定文化財目録 | 岡崎市ホームページ
参考文献
[編集]- 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、220頁。
- 『浄土宗西山深草派寺院名鑑』浄土宗西山深草派宗務所、1983年12月20日、pp46-50頁。