崎川才四郎
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崎川 才四郎(さきがわ さいしろう、明治3年3月15日[1][注 1](1870年4月15日) - 昭和31年(1956年)12月4日[2])は、日本の農商務官僚、商工官僚。
経歴
[編集]肥前国小城郡岩松村(現在の佐賀県小城市)出身[1]。崎川幸親の長男[3]。第二高等学校を経て、1896年(明治29年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した[1]。農商務属、同参事官、同書記官、山林局書記官、福岡鉱山監督署長、大阪鉱山監督署長、特許局長、鉱山局長を歴任した[1]。1923年(大正12年)に特許局長官に就任し、1930年(昭和5年)5月には親任官待遇を受けた[1]。
同年7月に退官した後は、北樺太石油株式会社取締役、東洋窒素工業株式会社顧問を務めた[4]。
家族
[編集]- 父・崎川幸親 ‐ 佐賀県士族[5]
- 妻・ツル‐北海道拓殖銀行取締役・馬島渡の妹。[5]
- 長女・杉山貞 ‐ 中国鉄道社長・杉山岩三郎(文太郎)の弟・三郎の妻。[5]
- 弟・崎川茂太郎 ‐ 鉱山技師。東京帝国大学工科大学採鉱冶金科卒業後、大学院を経て住友別子銅山入社、欧米留学後、大蔵省調査課、日本興業銀行技師を経て三井鉱山入社。妻の千代は兄嫁ツルの妹であり、藤村操の自殺の一因とも言われる片思いの相手。[6][7]
- 甥・崎川範行(1909-2006) ‐ 茂太郎の長男。工業科学者、東京工業大学教授、日本大学教授。東京帝国大学卒。[8]
- 姪・川崎静代 ‐ 茂太郎の長女。川崎財閥一族・川崎金蔵(川崎芳太郎の三男)の妻。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 初版』977頁では明治2年3月15日生。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。