崔丙柱
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崔 丙柱(チェ・ビョンジュ、朝鮮語: 최병주、1903年10月25日[1] - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の法曹、政治家。第2代韓国国会議員[2]。
経歴
[編集]全羅北道扶安郡幸安面出身。京城帝国大学法学部卒、高等文官試験司法科合格。以後は大法官、弁護士を務めた。1950年の第2代総選挙では扶安郡選挙区から無所属で出馬して当選し、国会議員を1期務めた[2]。
しかし、同年の朝鮮戦争中に拉致された。妻による失郷私民申告書によると、1950年7月中旬ごろに全羅北道で北朝鮮側の関係者に拉致され、拘束中に通訳などをさせられていたということが伝わっている[1]。その後は弟からも同書が提出された[3]。1956年7月、在北平和統一促進協議会中央委員を務める[4]。以後消息不明。
脚注
[編集]- ^ a b “4360.최병주 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年10月29日閲覧。
- ^ a b “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年10月29日閲覧。
- ^ “6591.최병주 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年10月29日閲覧。
- ^ 霞関会 編『現代朝鮮人名辞典 1962年版』世界ジャーナル社、1962年8月1日、308頁。NDLJP:2973328/214。