崔岦
表示
チェ・リプ 崔 岦 | |
---|---|
生誕 | 1539年 |
死没 | 1612年 |
職業 |
文臣 書家 |
崔 岦 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 최립 |
漢字: | 崔 岦 |
発音: | チェ・リプ |
日本語読み: | さい りゅう |
崔 岦(チェ・リプ、さい りゅう、朝鮮語: 최립、1539年 - 1612年[1])は、李氏朝鮮の光海君代の文臣、書家[1]。
人物
[編集]1555年に進士となり、1561年に文科及第、1577年に奏請使の質正官として李氏朝鮮の宗主国である明に赴く。その後、載寧郡守、公州牧使、全州府尹などを歴任し、1595年に判決事を経て刑曹参判に至るが辞職、平壌に隠居する[1]。
崔岦は、朝鮮を征服した後、箕子朝鮮を建国した中国殷王朝の政治家箕子について、「朝鮮における箕子の存在は、周王朝における文王や武王の存在のようだ」と主張し、箕子の功績を賛美し、朝鮮における箕子の存在を誇り、箕子の功績を繰り返し讃えている[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c “최립 崔岦,1539~1612”. 斗山世界大百科事典 2022年6月29日閲覧。
- ^ 姜智恩 (2017年6月). “朝鮮儒者中華認同的新解釋 ─「天下」與「國家」的整合分析” (PDF). 中央研究院近代史研究所集刊 (中央研究院) (96期): p. 51-52. オリジナルの2020年2月16日時点におけるアーカイブ。