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崔暹 (北斉)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

崔 暹(さい せん、? - 559年)は、中国北魏末から北斉にかけての官僚政治家は季倫[1][2][3]本貫博陵郡安平県[1][2][4]

経歴

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州主簿の崔穆の子として生まれた。若くして書生となり、渤海郡に避難して、高乾に従った。崔暹の妹が高乾の弟の高慎にとついだ。太昌元年(532年)、高慎が光州刺史となると、崔暹はその下で長史をつとめた。永熙2年(533年)、趙郡公高琛定州刺史となると、崔暹はその下で開府諮議となった。高琛に従って晋陽に赴き、高歓に面会すると、丞相長史を兼ねた。永熙3年(534年)、高歓が斛斯椿らを討つべく兵を率いて洛陽に入ると、崔暹は晋陽の留守を任された高琛を補佐した。後に左丞・吏部郎に転じ、「麟趾格」制定の議論を主導した[5][2][6]

武定初年、崔暹は御史中尉となり、畢義雲盧潜・宋欽道・李愔・崔瞻・杜蕤・嵆曄・酈伯偉・崔子武・李広らを御史に登用した。崔暹は前後して司馬子如や元羨・慕容献・咸陽王元坦・可朱渾元らに弾劾された。いずれも崔暹の免官を求め、死罪を要求する者も多かった。高歓は長年の親交を引き合いに出して崔暹をかばった。高歓が鄴都におもむくと、群官が迎えたが、高歓はとくに崔暹の手を握って慰労した。孝静帝が華林園で酒宴を開き、公平な人物を挙げるよう高歓に求めると、高歓は崔暹の名を挙げた[7][8][9]

武定5年(547年)、高歓が死去すると、崔暹は高澄により度支尚書に任用され、僕射を兼ねて、高澄の腹心として信任された。高澄は死刑を濫用する癖があったが、崔暹が諫めたため取りやめられた例も少なくなかった。東魏と南朝梁が通交するようになると、梁の武帝は崔暹が仏教経典を求めていることを聞いて、崔暹の館に届けさせた。崔暹は明蔵の『仏性論』に自分の名を署名して、江南に送らせた[10][11][12]

武定7年(549年)、高澄が死去し、高洋が後を嗣ぐと、司馬子如らが崔暹を再び糾弾した。また高隆之が寛容な政治を主張して、過酷な法官の代表とみなした崔暹の降格を求めたため、高洋はこれを聞き入れた。天保元年(550年)に北斉が建国されると、崔暹を告発する声がますます高まったため、文宣帝(高洋)は都督の陳山提らを派遣して崔暹の家を捜索させたが、その邸は質素なもので、高歓や高澄からの手紙1000枚あまりが押収されたのみであった。崔暹は馬城に流され、昼は土を背負って労役に服し、夜は地下牢に身を置かれた。1年あまりして、崔暹の反乱計画を告発する者が現れたため、鎖に繋がれて晋陽に連行されたが、無実が判明して釈放された[13][14][15]

まもなく太常卿として再び起用された。天保8年(557年)、尚書右僕射となった。天保10年(559年)、病没した。開府儀同三司・尚書左僕射・定州刺史の位を追贈された。は貞節といった[16][17][18]

子に崔達拏があり、学識のある温良な人物で、高澄の娘の楽安公主を妻に迎えた。若くして官職を歴任して司農卿となった。北周に入って、尉遅迥の反乱に参加して総管司馬となり、反乱が鎮圧されると処刑された[16][17][18]

脚注

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  1. ^ a b 氣賀澤 2021, p. 378.
  2. ^ a b c 北斉書 1972, p. 403.
  3. ^ 北史 1974, p. 1187.
  4. ^ 北史 1974, p. 1159.
  5. ^ 氣賀澤 2021, p. 379.
  6. ^ 北史 1974, pp. 1187–1188.
  7. ^ 氣賀澤 2021, pp. 379–381.
  8. ^ 北斉書 1972, pp. 404–405.
  9. ^ 北史 1974, p. 1188.
  10. ^ 氣賀澤 2021, p. 382.
  11. ^ 北斉書 1972, p. 405.
  12. ^ 北史 1974, p. 1189.
  13. ^ 氣賀澤 2021, p. 383.
  14. ^ 北斉書 1972, pp. 405–406.
  15. ^ 北史 1974, p. 1190.
  16. ^ a b 氣賀澤 2021, pp. 383–384.
  17. ^ a b 北斉書 1972, p. 406.
  18. ^ a b 北史 1974, pp. 1190–1191.

伝記資料

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参考文献

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  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6 
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4