崔漸煥
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基本情報 | |
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本名 | Wandee Jum Hwan Choi |
通称 | Wandee |
階級 | ライトフライ級 |
国籍 | 韓国 |
誕生日 | 1963年6月9日(61歳) |
出身地 | 大韓民国 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 23 |
勝ち | 20 |
KO勝ち | 8 |
敗け | 3 |
崔 漸煥(チェ・ジョムファン、朝鮮語: 최점환、英語: Jum Hwan Choi、1963年6月9日 - )は、大韓民国出身の元プロボクサー。元IBF世界ライトフライ級王者。元WBC世界ミニマム級王者。世界2階級制覇王者。
日本語文献では「チェ・ジュンファン」とも[1]。
来歴
[編集]1983年3月13日、プロデビュー。
1984年5月13日、11戦目で韓国ライトフライ級王座獲得。
同年11月16日、無敗のまま13戦目で世界初挑戦。IBF世界ライトフライ級王者ドディ・ボーイ・ペニャロサ(フィリピン)に挑み、15回判定負け。プロ初敗北を喫する。
1986年12月7日、世界再挑戦。ペニャロサが返上して空位となったIBF世界ライトフライ級王座を同じ韓国人の朴照雲と争い、15回判定勝ち。16戦目で世界王者を獲得するく。その後、3度の防衛に成功、そのうち一度は松田利彦に4RKO。
1988年11月5日、4度目の防衛戦でタシー・マカロス(フィリピン)に15回判定負けを喫し、王座陥落。その後、1年間試合から遠ざかる。
1989年11月12日、1階級下のWBC世界ミニマム級王者ナパ・キャットワンチャイ(タイ)に挑んだ世界タイトル挑戦試合が再起戦となり、最終ラウンド12回でTKO勝ちを収め2階級制覇を達成した。
1990年2月7日、初防衛戦。後楽園ホールで大橋秀行と対戦し、9回KO負け。王座から陥落し[2]、この試合を最後に現役を引退。
脚注
[編集]- ^ “川島郭志(ボクシングWBC世界スーパーフライ級元王者/徳島県海陽町出身)×二宮清純 第4回「無敵だったリカルド・ロペス」”. スポーツコミュニケーションズ. 2016年10月24日閲覧。
- ^ “【写真特集】負の連鎖止めた大橋秀行、下馬評覆した竹原慎二ら名勝負5傑/後楽園ホール60年”. 日刊スポーツ (2022年4月16日). 2022年8月27日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 최점환(崔漸煥) - 한국권투위원회 (韓国拳闘委員会, KBC)
- 최점환(崔漸煥) - 한국권투연맹 (韓国拳闘連盟, KBF) - ウェイバックマシン(2016年10月24日アーカイブ分)
- 崔漸煥の戦績 - BoxRec
前王者 ドディ・ボーイ・ペニャロサ |
IBF世界ライトフライ級王者 1986年12月7日 - 1988年11月5日 |
次王者 タシー・マカロス |
前王者 ナパ・キャットワンチャイ |
WBC世界ミニマム級王者 1989年11月12日 - 1990年2月7日 |
次王者 大橋秀行 |