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外ヶ濱浪五郎 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嶽ノ越浪五郎から転送)

外ヶ濱 浪五郎(そとがはま なみごろう、1819年文政2年〉 - 1863年9月7日文久3年7月25日〉)は、越後国頸城郡(現在の新潟県上越市〈旧・中頸城郡〉)出身[1]柏戸部屋及び伊勢ノ海部屋に所属した力士[1]。本名は小池 兵吉と伝わっているが詳細は不明[1]。身長・体重とも不明。最高位は東前頭3枚目。春日山 鹿右エ門四股名でも有名である。

略歴

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1843年1月場所で初土俵(新序)を踏んだ。1850年11月場所で西十両7枚目(十枚目格)に昇進。非常にゆっくりとした昇進で、新入幕を果たしたのは入幕から16年・新十両から8年余り経った1859年1月場所だった。勝率は5割に満たない水準で推移したが、闘志に溢れる容貌で土俵を沸かせた。1862年3月場所で9代春日山を襲名し二枚鑑札となったが、それから1年半後の1863年9月7日に現役中のまま死去。45歳没。

幕内通算 9場所 20勝28敗8分31休の成績を残した(うち10休は死後に番付が残された事による物である。尚、死後に載った東前頭3枚目が自身の最高位である)[1]

改名歴は2回ある:嶽ノ越 浪五郎→外ヶ濱 浪五郎→春日山 鹿右エ門[1]

出典

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関連項目

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