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巖浄閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
巖浄閣
秋の巖浄閣
情報
旧名称 富山県立農学校本館
設計者 藤井介之丞
管理運営 富山県
構造形式 木造、桟瓦葺
建築面積 333.3 m²
階数 2階建て
戸数 1棟
竣工 1903年(明治36年)4月
改築 1967年(昭和42年)
2005年(平成17年)
所在地 939-1517
日本の旗 日本
富山県南砺市苗島453番地
座標 北緯36度35分19秒 東経136度55分45秒 / 北緯36.58861度 東経136.92917度 / 36.58861; 136.92917 (巖浄閣)座標: 北緯36度35分19秒 東経136度55分45秒 / 北緯36.58861度 東経136.92917度 / 36.58861; 136.92917 (巖浄閣)
文化財 重要文化財
(建造物)
指定・登録等日 1997年平成9年)
5月29日
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巖浄閣(がんじょうかく)は、富山県南砺市苗島にある、学校建築。富山県立農学校(現在の富山県立南砺福野高等学校)の本館として建設された[1][2]。現在の敷地は南砺福野高等学校の校内である。1997年に国の重要文化財に指定された[3]

概要

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1903年に竣工[3]。設計と施工は砺波市出身の宮大工、藤井介之丞による[3]。農学校の建設は、資産家で県会議員も務めた島巌の遺志(自らの資産を学校建築のため県に寄付)によるものである[3][4]

木造2階建てで和洋折衷の下見板張り(コロニアル様式)である[5]

1968年8月に現在地に移転・修復された際に、当時の富山県知事だった吉田実によって島巌に由来する「巖浄閣」の名称がつけられた[5]

沿革

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  • 1903年(明治36年)4月 富山県立農学校本館として建設。
  • 1909年(明治42年) 皇太子(のちの大正天皇)の御座所となる[1]
  • 1913年(大正2年)ピンク色に塗りかえる。〈元は淡い緑色)[要出典]
  • 1967年(昭和42年)現在の位置に移築(曳屋)。修復工事を行う[要出典]
  • 1968年(昭和43年)8月8日 県知事の吉田実を迎え、「巖浄閣」と命名される。
  • 1987年(昭和62年) 「富山県の建築百選」に選定[要出典]
  • 1997年(平成9年)5月 国の重要文化財に指定。
  • 2005年(平成17年)保存修理工事竣工[要出典]

公開

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平日は公開されており、富山県立南砺福野高等学校の事務室に依頼して見学が可能である[1]。内部には富山県農学校等に関する資料が保存展示されている[5]

アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c 旧富山県立農学校本館 厳浄閣 - とやま観光ナビ
  2. ^ となみ野・五箇山路ガイドブック”. 砺波市、南砺市. 2022年8月4日閲覧。
  3. ^ a b c d 旧富山県立農学校本館「巖浄閣」 - 旅々なんと
  4. ^ 本校の創設 - 富山県立南砺福野高等学校
  5. ^ a b c 巖浄閣・建設の経緯 - 富山県立南砺福野高等学校