川俣英夫
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川俣英夫(かわまた ひでお、1856年(安政3年4月8日) - 1924年(大正13年1月23日))は栃木県那須烏山市出身の医師、教育者。
経歴
[編集]1856年4月下野国烏山藩に生まれる。14歳のとき、烏山藩学校に入門。横浜の高島学校、修文館を経て東京英語学校(後の東京大学予備門)に入学。帝国大学医学部別科、東亜医学校をへて1880年(明治13年)東京府医学開業試験に合格し、郷里にて開業する。烏山町町議会議員、烏山町長を歴任する。医師として万民公平の観点から、貧困者の積極的治療を行う傍ら、地域教育の重要性を真摯に考え、県立中学校の設立を栃木県に誓願するも、却下されてしまう。その後、私財を投じて私立烏山学館(後の私立烏山中学校をへて、栃木県立烏山中学校から、現在の栃木県立烏山高等学校の前身)を設立。墓所は那須烏山市にある真言宗・一乗院。逝去の際には、その徳を慕う学徒が棺を交代で担ぎ死を悼んだという。
私立烏山学館
[編集]私立烏山中学校
[編集]その他
[編集]栃木県立烏山高等学校には氏の名を冠した川俣賞があり、同校の最も栄誉ある表彰となっている。
参考文献
[編集]- 草野武一 『川俣英夫傅』(栃木県立烏山中学校、1941)