川副隆
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川副 隆(かわそえ たかし、1889年(明治22年)4月8日[1][2] - 1962年(昭和37年)8月2日[3])は、大正から昭和期の実業家・政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]長崎県[3]西松浦郡伊万里町[4](現伊万里市)で、政治家川副綱隆の長男として生まれる[2][5]。1915年(大正4年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した[2][3][4][5]。
三菱商事に入社[2]。漢口出張所長、船舶部長代理、漢口日本居留民団行政委員などを歴任[3][4]。その後、海運業に従事し[4]、神戸会陽汽船取締役、大阪静鉱業取締役、佐世保親和銀行取締役、佐世保運輸取締役、西肥菱油取締役、川副商会社長、日東燃料社長、九北運輸社長、丸三肥料社長、佐世保魚市場社長、佐世保製氷冷蔵社長などを務めた[2][3][4][5]。
1937年(昭和12年)4月、第20回衆議院議員総選挙(長崎県第2区、立憲民政党公認)で初当選し[6]、1942年(昭和17年)4月の第21回総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して再選された[7]。この間、国務大臣秘書官、逓信省委員、運輸通信省委員、大政翼賛会議会局理事、翼賛政治会政調幹事、逓信委員、海軍兼務委員などを務めた[3][4]。戦後、日本進歩党に所属し[3]、衆議院議員に連続2期在任[3][4]。その後、公職追放となった[8]。
国政選挙歴
[編集]- 第19回衆議院議員総選挙(長崎県第2区、1936年2月、中立)落選[9]
- 第20回衆議院議員総選挙(長崎県第2区、1937年4月、立憲民政党公認)当選[6]
- 第21回衆議院議員総選挙(長崎県第2区、1942年4月、推薦)当選[7]
- 第27回衆議院議員総選挙(長崎県第2区、1955年2月、自由党)落選[10]
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、8頁。
- ^ a b c d e 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』長崎5頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』193頁。
- ^ a b c d e f g 『翼賛議員銘鑑』125頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』カ177頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 第20回』65頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』539頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿241頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』71頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』366頁。