川勝氏徳
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時代 | 江戸時代中期 - 江戸時代後期 |
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生誕 | 宝暦5年(1755年) |
別名 | 八十郎(通称) |
墓所 | 東京都渋谷区神宮前の長泉寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家斉→(?) |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:川勝氏記、母:藤田光政の娘 |
兄弟 |
氏徳、氏次(吉太郎)、 女子(松平伯耆守家臣志水元重室)、 女子(木村氏室) |
妻 | 正室:某氏 |
子 | 氏貞、氏忠 |
川勝 氏徳(かわかつ うじよし)は、江戸時代中期から後期の旗本。貞徳流川勝家の3代当主。『寛政重修諸家譜』編纂時の当主。定紋は釘抜。
生涯
[編集]宝暦5年(1755年)、川勝氏記の嫡男として江戸に生まれた。天明元年(1781年)7月8日、父氏記の死去により、27歳でその家督(蔵米50俵3人扶持)を継ぎ、小普請となった。
寛政4年(1792年)9月25日、初めて将軍徳川家斉に謁見した。
寛政11年(1799年)時点で年齢は45歳、役職は小普請(小笠原八番)。屋敷は青山権田原元御屋敷内。没年不詳。後に家督は嫡男の氏貞が継いだ。
天保3年(1832年)12月21日、川勝氏貞は小普請にて軽追放となり後に絶家となった(『藤岡屋日記』1-500頁、詳細不明。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
- 石井良助監修、小川恭一編著『江戸幕府旗本人名事典(第1巻)』原書房、1989年
- 小川恭一編著『寛政譜以降旗本家百科事典(第2巻)』東洋書林、1998年
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