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川勝義雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川勝 義雄
人物情報
生誕 (1922-11-08) 1922年11月8日
日本の旗 日本京都府京都市
死没 (1984-04-04) 1984年4月4日(61歳没)
出身校 京都帝国大学文学部
学問
研究分野 東洋史
研究機関 京都大学人文科学研究所
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川勝 義雄(かわかつ よしお、1922年大正11年)11月8日 - 1984年昭和59年)4月4日)は、日本東洋史学者。京都大学人文科学研究所教授。専門は六朝期の中国史、中国思想史。京都市生まれ。

略歴

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京焼の一つ粟田口焼の窯元の息子として生まれ、京都府立第一中学(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第三高等学校京都帝国大学文学部卒業。京都大学人文科学研究所の司書系の助手になり、後研究系の助手、フランスに留学してヨーロッパ東洋学を学び、東洋学者アンリ・マスペロの著書を翻訳した。帰国後京都大学人文科学研究所教授在職中に没した。

研究

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内藤湖南宮崎市定魏晋南北朝時代中世とする論を受け継ぐ京都学派の一人であり、特に中国の貴族制研究において谷川道雄と共に「豪族共同体論」を展開し、矢野主税越智重明らと激しい論争を繰り広げた。

なお同じ中世説をとっていても宮崎との理解は若干異なる。特に五井直弘との門生故吏論争や、矢野主税との貴族制理解をめぐって論争が繰り広げられた。川勝・矢野の論争は有名だが、どちらも論理が先行し、それに合わせて史料を提示するため、実証的な面から言えば双方に問題が多い。論理先行のため、双方の主張がかみ合わず、論点がずれていたことや、時代区分論争よりも個別的な問題を取り扱う傾向が強くなり、決着を見ないまま、川勝が死去したことで議論は終了した。

親族

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哲学者下村寅太郎は親族。

著作

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著書
訳書

脚注

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