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川勝隆重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
川勝隆重
時代 江戸時代中期 - 江戸時代後期
生誕 安永元年(1772年
死没 不明
別名 春之助、登之助(通称)
墓所 東京都港区赤坂の法安寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家斉
氏族 川勝氏
父母 父:川勝隆忠、母:某氏
兄弟 隆源隆重忠順
忠能、某(徳之助)、女子、女子、
女子、女子、女子、女子
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川勝 隆重(かわかつ たかしげ)は、江戸時代中期から後期の旗本。隆尚流川勝家の5代当主。『寛政重修諸家譜』編纂時の当主。定紋は五七桐。

生涯

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安永元年(1772年)、川勝隆忠の嫡男として江戸に生まれた。寛政10年(1798年)4月25日、父隆忠の隠居により、27歳で家督(上野相模内2,800石)を継ぎ、小普請となった。同年6月13日、初めて将軍徳川家斉に拝謁した。隆尚流川勝家は、代々両番が出ており(番役筋)、旗本としての家格は比較的高かった。

寛政11年(1799年)時点で年齢は28歳、役職は小普請(山口十二番)。屋敷は小石川築地。没年不詳。次に家督を継いだ人物については不詳。

脚注

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参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
  • 石井良助監修、小川恭一編著『江戸幕府旗本人名事典(第1巻)』原書房、1989年


先代
隆忠
川勝知氏系隆尚流
5代:1798年 - 不詳
次代
不詳