川原侃
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川原 侃(かわはら すなお、1878年(明治11年)11月16日[1][2] - 1953年(昭和28年)11月28日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]鹿児島県出身[1][2][3]。川原甚左衛門の三男として生れる[1]。鹿児島第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1901年(明治34年)11月、陸軍士官学校(13期)を卒業[1][2][4]。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第45連隊付となる[1][4]。1904年(明治37年)6月から1906年(明治39年)3月まで日露戦争に出征した[1]。
1906年5月、第6師団副官に就任[1]。歩兵第45連隊中隊長、陸軍歩兵学校教官を経て、1917年(大正6年)8月、歩兵少佐に昇進し歩兵第10連隊付となる[1]。1918年(大正7年)6月、独立守備隊副官に転じ、歩兵学校教官を経て、1922年(大正11年)8月、歩兵中佐に進級し独立守備隊歩兵第1大隊長に就任[1][3]。1925年(大正14年)7月、近衛師団司令部付(中央大学配属、配属将校)となる[1][3]。
1926年(大正15年)3月、歩兵大佐に昇進[1][3]。1927年(昭和2年)5月、近衛歩兵第2連隊長に就任[1][3]。豊橋陸軍教導学校長を経て、1931年(昭和6年)8月、陸軍少将に進級[1][2][3]。1932年(昭和7年)9月、歩兵第16旅団長となり満州事変に出動した[1][2][3]。1935年(昭和10年)3月に待命となり、同月、予備役に編入された[1][2][3]。
その後、1942年(昭和17年)3月、満州開拓団指導員訓練所長となった[1]。
親族
[編集]栄典
[編集]- 勲章
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]