川原林順治郎
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川原林 順治郎(かわらばやし じゅんじろう、1872年(明治5年)9月 - 1945年(昭和20年)4月)は、日本の実業家。元明治生命保険会長。
人物・経歴
[編集]滋賀県出身。父は滋賀県議の川原林徳明。妻は御師蔵田国治元豊川炭鉱馬車鉄道社長の五女。1896年高等商業学校(現一橋大学)卒業、日本鉄道入社。1899年明治生命保険入社。明治生命保険仙台支店長心得、明治生命保険名古屋支店長、明治生命保険京都支店長、明治生命保険大阪支店長を歴任し[1][2][3]、1925年、明治生命保険取締役に昇格[4]。1927年全国支店出張所を東西に分けたことに伴い、西部監督となる[5]。1935年常務取締役制新設により、明治生命保険常務取締役に昇格[6]。1936年からは明治生命保険専務取締役を務めた[7]。1940年には取締役会の互選で明治生命保険取締役会長兼専務取締役に選出され[8]、太平洋戦争に係る死亡保険金の取り扱いに関する協議にあたるなどした。1945年死去[9]。
脚注
[編集]- ^ 川原林順治郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース(名古屋大学)
- ^ 蔵田国順著『伊勢神宮御師蔵田一族の歴史』置賜日報社 2017年
- ^ 川原林徳明君/116北村正武 著『滋賀県会議員正伝』天怒閣出版年月日明25.11
- ^ 明治生命保険(相)『明治生命七十年史』(1955.07)渋沢社史データベース
- ^ 明治生命保険(相)『明治生命七十年史』(1955.07)渋沢社史データベース
- ^ 明治生命保険(相)『明治生命七十年史』(1955.07)渋沢社史データベース
- ^ 治生命保険(相)『明治生命七十年史』(1955.07)渋沢社史データベース
- ^ 明治生命保険(株)『明治生命保険株式会社六十年史』(1942.12)渋沢社史データベース
- ^ 明治生命保険(相)『明治生命七十年史』(1955.07)渋沢社史データベース
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