川口木七郎
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川口 木七郎(かわぐち きしちろう、1870年5月5日(明治3年4月5日[1][2])- 1937年(昭和12年)10月17日[3][4][5])は、明治から昭和前期の地主、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]播磨国飾西郡書写村(兵庫県[3]飾西郡曽左村、飾磨郡曽左村[4][5][6]を経て現姫路市)で、大地主で代々里正を務めた醤油醸造業、川口家[1][7]先代当主・川口木七郎、つた の長男として生れ[2][6]、1881年(明治14年)8月、家督を相続し木七郎を襲名した[2][6]。漢学を修め、のち神戸で外国人教師から英語、フランス語を学んだ[1][8]。
家業の醤油醸造業を営み、山陽醤油社長、神戸信託取締役、姫路三十八銀行取締役、姫路銀行取締役、飾磨銀行取締役、神栄生糸取締役、飾磨郡素麺製造販売組合長などを務めた[1][2][3][4][5][6][7][8]。
政界では、1890年(明治23年)飾磨郡会議員に選出され同参事会員にも在任[1][3][4][5][6][8]。1896年(明治29年)兵庫県会議員に就任[1][3][4][5][6][8]。所得税調査委員、飾磨郡教育会長なども務めた[1][3][5][6][8]。
1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙に兵庫県郡部から政友本党所属で出馬して初当選[1][9]。その後第13回総選挙まで3回再選され、衆議院議員に通算4期在任した[3][5]。
国政選挙歴
[編集]- 第7回衆議院議員総選挙(兵庫県郡部、1902年8月、憲政本党)当選[9]
- 第8回衆議院議員総選挙(兵庫県郡部、1903年3月、憲政本党)当選[9]
- 第12回衆議院議員総選挙(兵庫県郡部、1915年3月、立憲国民党)当選[10]
- 第13回衆議院議員総選挙(兵庫県郡部、1917年4月、立憲国民党)当選[11]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『大日本人物誌』か之部40頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第4版』か46頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』190頁。
- ^ a b c d e 『兵庫県人物事典 下巻』80頁。
- ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』137頁。
- ^ a b c d e f g 『現代日本の政治家』国民党21-22頁。
- ^ a b 『現代兵庫県人物史』421-424頁。
- ^ a b c d e 『新撰衆議院議員列伝』102頁。
- ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』6頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』46頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』84頁。
参考文献
[編集]- 田中重策篇『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 田住豊四郎編『現代兵庫県人物史』県友社、1911年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『兵庫県人物事典 下巻』のじぎく文庫、1968年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。