川尻町 (広島県)
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かわじりちょう 川尻町 | |||||
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野呂山からの眺望 | |||||
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廃止日 | 2004年4月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 川尻町→呉市 | ||||
現在の自治体 | 呉市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陽地方) | ||||
都道府県 | 広島県 | ||||
郡 | 豊田郡 | ||||
市町村コード | 34424-9 | ||||
面積 | 16.85 km2 | ||||
総人口 |
10,138人 (2004年3月31日) | ||||
隣接自治体 | 呉市、豊田郡安浦町 | ||||
町の木 | クス | ||||
町の花 | ツツジ | ||||
町の鳥 | ウグイス | ||||
川尻町役場 | |||||
所在地 |
〒737-2603 広島県呉市川尻町東1-1-21 | ||||
座標 | 北緯34度14分08秒 東経132度41分47秒 / 北緯34.23542度 東経132.6965度座標: 北緯34度14分08秒 東経132度41分47秒 / 北緯34.23542度 東経132.6965度 | ||||
特記事項 |
町役場のデータは呉市役所川尻支所のものである。 現在は郵便番号が変更されている。 | ||||
ウィキプロジェクト |
川尻町(かわじりちょう)は、かつて広島県にあった町。豊田郡に属した。2004年4月1日に呉市に編入されて消滅した。
沿革
[編集]- 1889年4月1日 - 市町村制施行。川尻町域には当時賀茂郡に属する安登村・川尻村が存在した。
- 1922年1月1日 - 川尻村が町制施行して川尻町になる。
- 1956年4月1日 - 川尻町・安登村の所属郡が賀茂郡から豊田郡に変更される。
- 1958年4月1日 - 安登村の一部を編入する。
※安登村の残部は豊田郡安浦町(現:呉市)に編入。
- 2004年4月1日 - 呉市に編入される。
地理
[編集]山
[編集]- 膳棚山 (839.4m)…野呂山の一部。
- 大懸山 (417.4m)
島
[編集]- 柏島
- 東西約800メートル、南北約700メートルのほぼ円形の全面積40ヘクタールほどの小島で、島の最も高いところで135メートル。山腹は比較的急勾配で、北西部の一ヶ所に砂浜があり、そのほかは高さ2〜3メートルの海食崖に囲まれている。砂浜にはヨシの群落、ハマエンドウ・ツルナなどの海岸植生が見られ、1970年代までは海水浴場として対岸からの渡船があったが、現在は海水浴場としては使われていない。その近くには柏島神社があり、井戸もあったが、現在の状況は不明。かつては米作が行われており、砂浜の東側にある石垣がその名残である。タヌキ・イタチが生息していることが確認されている。植生の大部分は天然林であり、クロマツ・アカマツの常緑針葉樹とコナラ・アベマキを主とする落葉広葉樹がその大部分を占めている。
- 女猫島(めのこじま)
- 小仁方の沖合にある小島で、安芸灘大橋の橋脚を建てるため、その大部分が削られた。
名所・旧跡
[編集]- 野呂山
- 宝積寺
- 真光寺
- 光明寺
- 真福寺
- 明光寺
- 伊音城弘法寺
- 新宮神社
- 大歳神社
- 八雲神社
- 小仁方神社
- JR呉線の敷設にともない、現在の場所に移された。
- 野呂神社
- 小用神社
- 権現社
- 稲恵社
- 大須和城址
産業
[編集]大字・町名(2004年3月31日当時のデータ)
[編集]- 川尻(かわじり)
- 久筋1 - 3丁目(くすじ)
- 久俊1 - 3丁目(くどし)
- 小仁方1 - 2丁目(こにがた)
- 小用(こよう)
- 小用1 - 2丁目(こよう)
- 西1 - 6丁目(にし)
- 野呂山(のろさん)
- 原山1 - 3丁目(はらやま)
- 東1 - 4丁目(ひがし)
- 森1 - 4丁目(もり)
交通(2004年3月31日当時のデータ)
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 国道
- 主要地方道
- 広島県道74号下蒲刈川尻線…町内は全区間が安芸灘大橋有料道路になっている。
- 一般県道
- 広島県道248号野呂山公園線…かつてはさざなみスカイラインという有料道路だった。
- 広島県道465号川尻安浦線
教育(2004年3月31日当時のデータ)
[編集]小学校
[編集]- 川尻町立川尻小学校
中学校
[編集]- 川尻町立川尻中学校