川島町立川島小学校笠田分校
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川島町立川島小学校笠田分校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 川島町 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 1962年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒501-6021 |
岐阜県各務原市川島笠田町40[注釈 1] | |
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川島町立川島小学校笠田分校 (かわしまちょうりつ かわしましょうがっこう かさたぶんこう)は、かつて岐阜県羽島郡川島町(現・各務原市)に存在した公立小学校の分校。
概要
[編集]- 羽島郡川島町の北部に該当する笠田町(現・各務原市川島笠田町)が校区であった。笠田町地区と川島町の他の地区との間には木曽川本流があり、笠田地区の住民が川島町の他の地区に行くには渡船(笠田の渡し)の利用しか無かった。1962年、川島大橋の開通により渡船による通学困難が無くなり廃校。
- 校舎は笠田町公民館として使用されていたが、老朽化で1990年に取り壊され、跡地に新たな笠田町公民館が建てられた。2024年現在、当時の運動場は笠田町公民館の広場となっている他、跡地を示す記念碑、校門、二宮金次郎の石像が残っている。
沿革
[編集]- 1855年(安政2年) - 羽栗郡笠田村に寺小屋ができる(1872年頃廃校)。
- 1873年(明治6年)10月 - 羽栗郡松原島村字渡島、円城寺村字嘉左エ門島(嘉左衛門島)、笠田村、小屋場島村が博文義校から離脱し、小屋場島村に明善舎校が開校。
- 1883年(明治16年)4月 - 明善舎校が分立。松原島村字渡島、円城寺村字嘉左エ門島は松原島村字渡島に明善南校を開校する。明善舎校は笠田村に移転し、明善北校(笠田村・円城寺村字小屋場島)となる。
- 1886年(明治19年)10月 - 笠田島簡易科小学校に改称する。
- 1888年(明治21年) - 笠田島村字村中に新築移転。
- 1889年(明治22年)7月 - 羽島郡小網島村、松倉村、河田島村、松原島村、笠田島村が合併し、川島村が発足。
- 1890年(明治23年)1月 - 円城寺村字小屋場島が川島村へ編入され、大字松原島字嘉左エ門島の一部(1911年に大字松原島北山分区字小屋場に改称)となる。
- 1891年(明治24年)10月28日 - 濃尾地震により校舎が損壊。
- 1893年(明治26年) - 校舎の修繕が完成。このころ笠田島尋常小学校に改称する。
- 1900年(明治33年)7月 - 校舎を改築する。
- 1903年(明治36年) - 農業補習学校を併設。
- 1908年(明治41年)
- 4月 - 農業補習学校を廃止。
- 9月 - 川島高等学校、博文尋常小学校、松倉尋常小学校、笠田島尋常小学校、渡島尋常小学校が合併し、川島村立川島尋常高等小学校となる。本校は旧・松倉尋常小学校におかれた。旧・笠田島尋常小学校は笠田分教場となり、大字笠田、大字松原島字嘉左エ門島の一部(小屋場)の尋常1~4年の児童が通学(5年生は博文分教場(旧・博文尋常小学校)に通学)。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 川島国民学校笠田分教場に改称する。
- 1942年(昭和17年)4月 - 川島国民学校の本校が現在の川島小学校の場所に移転。博文分教場は廃止され、大字笠田、大字松原島北山分区字小屋場の5年生以上の児童は本校への通学となる。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 川島村立川島小学校笠田分校に改称する。1~4年生が通学し、当時の児童数は68名。
- 1954年(昭和29年) - 校舎を新築[1]。
- 1956年(昭和31年)10月1日 - 町制施行により川島町立川島小学校笠田分校に改称する。同日、大字松原島北山分区字小屋場は笠田町に編入され、笠田分校の通学区域は笠田町となる。
- 1962年(昭和37年)
- 8月8日 - 木曽川本流に川島大橋が開通。
- 9月 - 廃止。
参考文献
[編集]- 川島町史 通史編 (川島町 1986年) P.881 - 958
- ふる里かわしま (川島町 1976年) P.158 - 167
脚注
[編集]- ^ 現在の住所表記
- ^ 旧校舎(1893年改修)は川島保育園の園舎に転用され、1986年まで使用された 社団福祉法人西養寺福祉会 沿革