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川島総次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川島 総次(かわしま そうじ[1]文政8年(1825年) - 元治元年9月5日1864年10月5日[2])は、幕末尊王攘夷運動家[1]友利[3]。1898年(明治31年)贈従五位[4]。野根山二十三士の一人で、最も年長者だった[3]。お笑いタレントの劇団ひとり(本名・川島省吾)は子孫(来孫)にあたる。

経歴・人物

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本籍・土佐国安芸郡佐喜浜村(現在の高知県室戸市佐喜浜町)で、父の名は七五郎である[3]。家は代々野根山岩佐の番士である[3]1864年(元治元年)、清岡道之助を首領とする野根山屯集に参加して捕らえられ、同年9月5日に刑死[1]。墓は高知県安芸郡田野町の福田寺にある。人柄は温厚寡言で、人と事を争わなかった[3]

家族・親族

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川島家
  • 父・七五郎[3]
  • 妻・(志士中岡慎太郎の姉)
  • 嗣子・友兵衛[3] - 長岡郡田井村に居住した[3]
  • 孫・正件1869年 - 1937年、高知県士族、政治家・高知市長) - 高知市に居住した。友兵衛の長男[5]。劇団ひとりの曽祖父[6]。劇団ひとりは「27、28歳のころ、両親とプライベートで高知を訪れた時に、安芸郡田野町にある二十三士の墓にも足を運んだことがある。」と述べている[6]

脚注

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  1. ^ a b c 川島 総次とはコトバンク。2020年8月1日閲覧。
  2. ^ 『明治維新人名辞典』307頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『二十三士』58-59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月23日閲覧。
  4. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.11
  5. ^ 『人事興信録 第9版』カ149頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月23日閲覧。
  6. ^ a b “ルーツを語る「勝手ですけど…高知は第二の古里」”. 高知新聞 (高知新聞社). (2017年1月1日). https://web.archive.org/web/20170103131100/http://www.kochinews.co.jp/article/71148/ 2017年4月1日閲覧。 

参考文献

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  • 中野浩気『二十三士』中野浩気、1907年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。