川本東大橋
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川本東大橋 | |
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基本情報 | |
所在地 |
左岸 : 島根県邑智郡川本町川本 右岸 : 島根県邑智郡川本町久座仁[1] |
交差物件 | 江の川水系江の川 |
座標 | 北緯34度59分46.2秒 東経132度30分13.7秒 / 北緯34.996167度 東経132.503806度 |
地図 | |
関連項目 | |
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画像外部リンク | |
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浜田河川国道事務所 河川画像提供 | |
川本水位観測所 |
川本東大橋(かわもとひがしおおはし)は、島根県邑智郡川本町の江の川にかかる道路橋。
諸元
[編集]- 路線名 : 島根県道31号仁摩邑南線
- 竣工年 : 1967年[2]
- 橋種 : 2径間下路式ランガー橋[3]
- 橋長 : 160.35 m[3]
- 支間長 : 12.04 m + 75.00 m + 71.00 m[3]
- アーチライズ : 11.0 m[3]
- 幅員 : 6.0 m[3]
沿革
[編集]この地に最初に橋がかけられたのは1923年(大正12年)のこと[1]。当時は川本橋あるいは江川吊橋といい、橋長380尺(約115 m)、幅員18尺(約5.5 m)、橋面は木製の吊り橋であった[1][4][5]。工事は県費によるもの[5]。車の通行が増えてくると、轍の位置に板が置かれていたという[1]。
なお近代の島根県内における江の川への架橋は、川本橋と国道18号上江川橋・山陰本線郷川橋梁と都賀大橋・三江線第一江川橋梁のみで[2]、流域の大部分では渡し船による渡河が主流であった[5]。そうした背景もあって、吊橋の川本橋は邑智郡の名物と謳われ、郡史には名勝と記載され、粕淵村(現美郷町)の観光案内では中心に置かれていたという[2][6]。
1965年(昭和40年)吊橋の川本橋は洪水により流出した[2][6]。当時取材に来ていた記者が渡りきった途端に大きな音を立てて落橋したという[2]。
1967年(昭和42年)同じ位置に川本東大橋が架け直された[2]。
ギャラリー
[編集]-
初代の吊橋
脚注
[編集]- ^ a b c d “川本東大橋/川本町川本、久座仁”. 朝日新聞 (2016年4月22日). 2019年4月27日閲覧。
- ^ a b c d e f “郷川橋梁〈上〉/江津市渡津町、江津町”. 朝日新聞 (2019年2月1日). 2019年4月27日閲覧。
- ^ a b c d e “橋梁年鑑 昭和59年度版” (PDF). 日本橋梁建設協会. p. 82 (1984年). 2019年4月27日閲覧。
- ^ “本邦道路橋輯覧 大正14度版” (PDF). 内務省土木試験所. p. 154 (1925年). 2019年4月27日閲覧。
- ^ a b c 『島根縣寫眞帖』島根県、1923年、30頁。NDLJP:1899762/126。
- ^ a b “川本大橋”. しまね観光ナビ. 2019年4月27日閲覧。