川澄明敏
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川澄 明敏(かわすみ あきとし、1866年3月25日(慶応2年2月9日) - 1939年(昭和14年)1月8日[1][2])は日本メソジスト教会の牧師である。
人物・来歴
[編集]1866年3月25日(慶応2年2月9日)出羽国山形に川澄明憲・たけの子として生まれる。中学生時代に大阪で過ごしキリスト教に触れる。同級生に誘われて大阪にあった日本組合基督教会の天満教会(現・日本基督教団天満教会)に通い、古木虎三郎から聖書講義を聞いてキリスト教を学ぶ。さらに、学ぶために同志社英学校に入学する。当時、函館にいた父明憲の危篤の知らせを受け、函館に行き、函館メソジスト教会(現・日本基督教団函館教会)に出席してキリスト教に入信する。
1884年(明治17年)10月5日、松本総吾牧師より洗礼を受ける。伝道者になることを志し、1885年(明治18年)、東京英和学校神学科に入学する。1889年(明治22年)に卒業し、4月から青森メソジスト教会(現・日本基督教団青森教会)牧師に就任する。その後、東京三田、米国サクラメント、仙台美以教会(現・日本基督教団仙台五橋教会)などを転任する。
1913年(大正2年)に日本日曜学校協会の専任主事になり、1916年(大正5年)の第8回世界日曜学校大会の日本招請のための組織作りに尽力した。墓所は多磨霊園。
著書
[編集]- 単著
- 『日曜学校とは何ぞや』日本基督教興文教会〈伝道叢書 第29〉、1919年4月。
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出典
[編集]参考文献
[編集]- 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年