川田博美
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川田 博美(かわた ひろよし、1922年11月26日 - 2004年2月14日[1])は、日本の実業家。日刊スポーツ新聞社2代目取締役会長。徳島県出身[1]。父は日刊スポーツ新聞社創業者の川田源一、長男は同社現取締役会長兼社長の川田員之[1]。
武蔵工業専門学校出身という経歴を生かし、活字の手拾い作業のオートメーション化や、紙面のカラー化を推進するための日刊式インシレーターの開発(1967年)、新聞ファクシミリを使用した現地での印刷の成功(1977年)などに尽力した。コンピューターでの新聞製作システム「NEPS」の開発にも携わった[1]。
経歴
[編集]- 1922年11月26日 - 徳島県那賀郡羽ノ浦村(現在の阿南市羽ノ浦町)に生まれる。
- 1944年 - 武蔵工業専門学校(現在の東京都市大学)を卒業。
- 1951年5月 - 東京都建設局、滝山会を経て、父の川田源一が創業した日刊スポーツ新聞社に入社。
- 1952年8月7日 - 日刊スポーツ印刷社取締役に就任。
- 1952年11月27日 - 日刊スポーツ新聞社常務取締役兼資材部長に就任。
- 1953年5月1日 - 滝山会代表取締役社長に就任。
- 1956年11月27日 - 日刊スポーツ新聞社および日刊スポーツ印刷社取締役社長に就任。
- 1957年12月14日 - 大阪日刊スポーツ新聞社取締役に就任。
- 1962年5月1日 - 日刊スポーツ新聞北海道本社取締役に就任。
- 1977年6月22日 - 日刊スポーツ印刷社代表取締役会長に就任。
- 1983年6月23日 - 日刊スポーツ新聞社代表取締役会長に就任。
- 2003年6月26日 - 日刊スポーツ新聞社取締役会長に就任。
- 2004年2月14日 - 午前3時15分、心不全のため都内の自宅で死去[1][2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “【おくやみ】日刊スポーツ新聞社の川田博美会長が死去”. 日刊スポーツ. (2004年2月14日) 2013年2月23日閲覧。
- ^ “川田博美氏死去/日刊スポーツ新聞社会長”. 四国新聞社. (2004年2月16日) 2013年2月23日閲覧。