左座養傳
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左座 養傳(さざ ようでん、1886年2月[1] - 没年不詳)は、日本、関東州の裁判官。
経歴
[編集]漢方医左座泰貞の二男として福岡県早良郡原村(現・福岡市早良区原)に生まれる[1]。1906年福岡県立中学修猷館[2]、1911年7月第五高等学校英語法律科[3]を経て、1916年7月東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[4]。
卒業後、鉄道院に入るが、1917年5月司法官試補となり、神戸地方裁判所に勤務、1918年11月判事となり、1919年1月奈良地方裁判所に転じた。1920年9月関東庁高等法院兼地方法院判官に任じられ、高等法院覆審部兼上告部判官を務めた[1]。
その後、1928年福山区裁判所監督判事、遠野区裁判所判事、1939年萩区裁判所判事を歴任した[5]。