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左座養傳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

左座 養傳(さざ ようでん、1886年2月[1] - 没年不詳)は、日本関東州裁判官

経歴

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漢方医左座泰貞の二男として福岡県早良郡原村(現・福岡市早良区)に生まれる[1]。1906年福岡県立中学修猷館[2]、1911年7月第五高等学校英語法律科[3]を経て、1916年7月東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[4]

卒業後、鉄道院に入るが、1917年5月司法官試補となり、神戸地方裁判所に勤務、1918年11月判事となり、1919年1月奈良地方裁判所に転じた。1920年9月関東庁高等法院兼地方法院判官に任じられ、高等法院覆審部兼上告部判官を務めた[1]

その後、1928年福山区裁判所監督判事、遠野区裁判所判事、1939年萩区裁判所判事を歴任した[5]

脚注

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  1. ^ a b c 竹中憲一『人名事典 「満州」に渡った一万人』(皓星社、2012年)660頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員6頁
  3. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校、1936年)237頁
  4. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名80頁
  5. ^ 『人事興信録第14版』(人事興信所、1943年) サ-1頁