巨勢清野
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 正五位上・右衛門佐 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇 |
氏族 | 巨勢氏 |
巨勢 清野(こせ の きよの)は、平安時代初期の貴族。官位は正五位上・右衛門佐。
経歴
[編集]弘仁3年(812年)従五位下・右兵衛佐に叙任され、弘仁5年(814年)右衛門佐に転じる。弘仁7年12月(817年1月)に父と想定される中納言・巨勢野足が没して以降、嵯峨朝では清野の叙位任官の記録がない。
天長2年(825年)13年ぶりに昇叙され従五位上になると、天長5年(828年)正五位下、天長6年(829年)正五位上と淳和朝では順調に昇進している。
官歴
[編集]『日本後紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁3年(812年) 正月7日:従五位下。正月12日:右兵衛佐
- 弘仁5年(814年) 7月1日:右衛門佐
- 天長2年(825年) 正月4日:従五位上
- 天長5年(828年) 正月7日:正五位下
- 天長6年(829年) 正月7日:正五位上