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己爾乃神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

己爾乃神社(こじのじんじゃ)は滋賀県守山市洲本町に鎮座する神社である。『延喜式神名帳近江国野洲郡に「己尓乃神社 二座」と載せる式内社[1]

およそ500メートルを隔てて同名の神社が2社存し、埋め立てられたがかつては野洲川から分かれて琵琶湖にそそぐ野洲川南流が流れており、ともにその左岸堤防上に位置していたため、河川に対する信仰に発するものと思われる[2]。また、ともに式内社の伝承を有すが、いずれかをそれと決することは地理的、史料的にも不可能で、むしろ2社を以て構成されたのが式内「己尓乃神社」であり、かつては祭祀においても密接な繋がりを持つものであった可能性が指摘されている[2]

己爾乃神社(開発)

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己爾乃神社
所在地 滋賀県守山市洲本町字開発1607
位置 北緯35度05分37.4秒 東経135度58分12.7秒 / 北緯35.093722度 東経135.970194度 / 35.093722; 135.970194
主祭神 伊邪那岐命
伊邪那美命
社格 式内社論社・旧村社
創建 伝天長6年(829年)
本殿の様式 一間社流造
別名 開発の己爾乃神社
例祭 5月5日
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洲本町字開発に鎮座。鎮座地から「開発の己爾乃神社」と称されるが、埋め立て前の野洲川南流に「列系図橋」という橋が架かっていて、その近くに位置していたことから「列系図の己爾乃神社」とも呼ばれていた[2]

祭神

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伊邪那岐命伊邪那美命を主祭神に、天児屋根命伊香津臣命を配祀する。

古くは配祀2柱を、天児屋根命は若一王子、伊香津臣命は若一権現と称して主祭神としていたが、明治14年(1881年)9月22日付で現在のように変更された[2]

由緒

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社伝に、天長6年(829年)に伊香厚武が創建したとする。厚武は「大夫厚武」とも称し、伊香宿祢豊厚を祖とする伊香氏の末孫であるといい、伊香氏は中臣氏の同族なので[3]、中臣氏の祖神である天児屋根命と伊香津臣命を奉斎したものという[4]。しばしば野洲川の氾濫に見舞われたため、『己爾乃神社之縁由書』という1冊を残して神宝や古記録を流失している[2]。また若一王寺という神宮寺もあり、その跡を継ぐのが近在の蓮光寺であるが、『近江輿地志略』には神社付近に伝教大師(最澄)作という仏像を安置する薬師堂があったと記すので、それが本地仏を祀っていたものと推測される[2]。後に神祇管領吉田家より正一位の宗源宣旨を受け、現に「正一位若一大権現」と記された神鏡を伝えている[4]旧社格村社

祭事

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  • 例祭 - 5月5日

境内社

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  • 巳爾乃若宮

己爾乃神社(中の前)

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己爾乃神社
所在地 滋賀県守山市洲本町字中の前2322
位置 北緯35度05分42.0秒 東経135度57分56.7秒 / 北緯35.095000度 東経135.965750度 / 35.095000; 135.965750
主祭神 大己貴命
天津彦根命
素盞鳴命
社格 式内社論社・旧村社
創建 伝大宝3年(703年)
本殿の様式 一間社流造
別名 大曲の己爾乃神社
例祭 5月5日
主な神事 名付祭
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洲本町字中の前に鎮座。鎮座地から「中の前の己爾乃神社」や、「大曲の己爾乃神社」と呼ばれる(大曲(おおまがり)は中の前に隣接するかつての大字名)[2]

祭神

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大己貴命天津彦根命素盞嗚命を祀る。

由緒

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大宝3年(703年)に中臣為恵により創祀されたと伝わる。永禄年間(1558-70年)の兵乱により社殿等を失ったが、寛政3年(1791年)には旧に復した。近在の玉林寺がかつての神宮寺であった[2]。旧社格は村社。

祭事

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  • 例祭 - 5月5日

境内社

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  • 稲荷神社
  • 天満宮
  • 大城神社

文化財

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脚注

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  1. ^ 『神名帳』は「尓」字を「人」の下に「小」と作る。また、訓を付ける九条家本は「己尓乃」を「コニノ」と訓んでいる。
  2. ^ a b c d e f g h 『式内社調査報告』。
  3. ^ 新撰姓氏録』左京神別上。
  4. ^ a b 滋賀県神社庁、「己爾乃神社」(平成22年2月28日閲覧)。

参考文献

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外部リンク

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