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市川團十郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三升
杏葉牡丹
鎌輪ぬ

市川 団十郎(いちかわ だんじゅうろう、旧字体市川 團十郎)は、歌舞伎役者の名跡屋号成田屋定紋三升(みます)、替紋杏葉牡丹(ぎょうよう ぼたん)。役者文様鎌輪ぬ(かまわぬ)。江戸時代元禄より、当代の十三代目市川團十郎まで13代[1]、追贈1名を数える[2]

解説

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市川團十郎家は歌舞伎の市川流家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。その長い歴史と数々の事績から、市川團十郎は歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。

團十郎と関わりの深い名跡に市川海老蔵がある。前期の市川團十郎には團十郎 → 海老蔵と襲名する例が目立ち、後期にはこれが逆転して海老蔵 → 團十郎と襲名する例が目立つようになる。

先代の十二代目團十郎が最初に襲名したのが市川新之助、その子で当代の海老蔵が最初に襲名したのも市川新之助だったため、市川宗家では新之助 → 海老蔵 → 團十郎と襲名するのが通例だと誤解されがちだが、実際にかつて新之助を名乗った者がのちに團十郎を襲名したのは、この十二代目の他には七代目と八代目があるのみである(詳細は「市川海老蔵」の項を参照)。

その圧倒的な存在感の一方、團十郎の名跡は代々のうち半数が何らかの形で非業の最期を遂げていることでも知られている。初代は舞台上で共演の役者によって刺殺され(満44歳)、三代目は公演先の大坂で病を得て江戸には戻ったものの2か月後に死去(満21歳)。六代目は風邪をこじらせて急死(満21歳)、八代目は公演先の大坂で謎の自殺を遂げ(満31歳)、十一代目は團十郎襲名後わずか3年半で病死(満56歳)。十二代目は白血病を患い、9年間におよぶ闘病の末死去した(満66歳)。代々の墓は青山霊園にある。

市川團十郎代々

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ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 【スキャナー】團十郎 歌舞伎復興にらみ/襲名公演2年■40代役者主力『読売新聞』朝刊2022年11月6日3面
  2. ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、119頁。 

関連項目

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外部リンク

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