市川昭男
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市川 昭男 いちかわ あきお | |
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生年月日 | 1941年8月10日(83歳) |
出生地 | 宮城県仙台市 |
出身校 | 新潟大学人文学部 |
前職 | 地方公務員(山形市) |
所属政党 | 無所属 |
公選第16-18代 山形市長 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2003年9月28日 - 2015年9月27日 |
市川 昭男(いちかわ あきお、1941年(昭和16年)8月10日[1] - )は、日本の政治家。元山形市長(3期)。
概要
[編集]宮城県仙台市生まれ。山形市立第四小学校、山形市立第一中学校、山形市立商業高等学校を卒業後、一旦就職するも新潟大学人文学部に入学。大学卒業後、山形市役所に就職した。金澤忠雄山形市長の下では東北芸術工科大学の設置を推進し、同大の開学に尽力した。その後、山形市土地開発公社理事長や山形市総務部長、水道事業管理者を歴任。吉村和夫市長の下で山形市助役に就任。
2003年、吉村和夫市長が在職のまま多臓器不全により病死。吉村の死去に伴って実施された山形市長選に、吉村が推進してきた「環境先進都市の建設」の継承を掲げて立候補した。民主・公明2党の推薦に加え、山形県選出の鹿野道彦衆議院議員や山形市議の支援を受け、3人の対立候補に大差をつけて初当選を果たした。
2007年、2人の対立候補に再び大差をつけ、山形市長再選[2]。ただし、この市長選は争点も関心も盛り上がらず終始低調なままで、投票率は山形市長選において最低の31.36%を記録した。2011年、山形市長3選[3]。
2015年5月23日、山形市役所で記者会見を行い同9月6日告示の市長選には、「選挙時に74歳、(次期任期満了の)4年後は78歳という自分の年齢を考えると、後進に道を譲るべきだと判断した」と述べ、不出馬を表明した[4][5]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、50頁。
- ^ “山形市長に市川氏再選 合併など訴え新人破る”. 共同通信. (2007年9月16日) 2015年5月26日閲覧。
- ^ “山形市長に市川氏3選 自民系候補ら破る”. 共同通信. (2011年9月18日) 2015年5月26日閲覧。
- ^ “市川氏、山形市長選不出馬を表明 年齢考慮「後進に譲る」”. 山形新聞. (2015年5月24日) 2015年5月26日閲覧。
- ^ “山形市長、4選不出馬 今期限りで退く意向”. 河北新報. (2015年5月24日) 2015年5月26日閲覧。