帝人目黒研究所
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒541-0044 大阪府大阪市中央区伏見町2-6-4 |
設立 | 1925年 |
業種 | 医薬品 |
法人番号 | 3120901020049 |
事業内容 | 医薬品、健康食品、飼料等の製造販売および輸出 |
代表者 | 代表取締役社長 三好孝則 |
資本金 | 3520万円 |
純利益 |
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総資産 |
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従業員数 | 25名(2024年4月現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 帝人 |
外部リンク | https://www.meguro-kenkyujo.co.jp/ |
株式会社帝人目黒研究所(ていじんめぐろけんきゅうじょ)は、大阪府大阪市中央区に本社を置く製薬会社である。1925年(大正14年)創業。
会社概要
[編集]事業内容は納豆菌及び乳酸菌(医薬品、健康食品、飼料添加物等)の製造販売および輸出入。兵庫県加西市に加西工場を置いている。
前身の目黒研究所は故目黒庸三郎博士によって「大阪治療実験研究所」として設立。博士は1910年(明治43年)大阪府立高等医学校卒業後生化学を研究、後に伝染病研究所の志賀潔のもとで細菌学並び免疫学を修める。北里柴三郎が創設した北里研究所において、志賀とともに4年間研究に没頭する。1922年(大正11年)に渡欧し、ベルギーのパスツール研究所にてホリデー博士に、パリのパスツール研究所にてラモン博士の研修指導を受けた。帰国後1925年(大正14年)5月、大阪実験治療研究所を大阪市北区に開設したのを発祥とする。
沿革
[編集]- 1925年(大正14年) 大阪実験治療研究所(大阪市北区)創設
- 1929年(昭和4年) 乳酸菌製剤「ビオゼニン」発売
- 1931年(昭和6年) 「ヂフテリーホルモワクチン」発売
- 1937年(昭和12年) 目黒研究所と改称、 「ジフテリア血清」発売
- 1945年(昭和20年) 戦火により目黒研究所焼失、 直に池田市神田町付属免疫所に移転
- 1948年(昭和23年) 池田市満寿美町(現住所)に研究所新築、 「株式会社目黒研究所」に組織変更
- 1950年(昭和25年)「発疹チフスワクチン」発売
- 1952年(昭和27年) 乳酸菌製剤「ビオゼニン」発売再開
- 1958年(昭和33年)「日本脳炎ワクチン」発売
- 1968年(昭和43年) 多剤耐性乳酸菌「コンクエンテロポリアール」発売、 納豆菌「ビオナットミン」発売、 共に胃腸薬原料として製剤メーカーへ供給
- 1977年(昭和52年) B型肝炎診断用キット「リバースセル」発売、 臨床検査薬市場へ参入
- 1980年(昭和55年) 兵庫県加西市にGMP適合の新工場として「加西工場」完成、醗酵製剤、臓器抽出製剤(現在廃止)の生産体制拡充
- 1997年(平成9年) 丸石製薬株式会社の子会社となる
- 2003年(平成15年) 加西工場の増設
- 2014年(平成26年) 加西工場新館棟完成
- 2014年(平成26年) 池田工場を廃止し加西工場に統合。本社を大阪市中央区へ移転
- 2022年(令和4年) 帝人株式会社の子会社となり、株式会社帝人目黒研究所に商号変更
主要製品
[編集]- 納豆菌
- ビオナットミン(医薬品原料)
- 納豆菌末(健康食品原料)
- グローゲン11(飼料添加物等)
- 乳酸菌
- コンクビオゼニン(医薬品原料)
- 乳酸菌末(健康食品原料)
- バラントール末(飼料添加物等)