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帝人目黒研究所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
帝人 > 帝人目黒研究所
株式会社帝人目黒研究所
TEIJIN MEGURO INSTITUTE CO., LTD.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
541-0044
大阪府大阪市中央区伏見町2-6-4
設立 1925年
業種 医薬品
法人番号 3120901020049 ウィキデータを編集
事業内容 医薬品、健康食品、飼料等の製造販売および輸出
代表者 代表取締役社長 三好孝則
資本金 3520万円
純利益
  • 228万6,000円
(2024年3月期)[1]
総資産
  • 9億4,398万7,000円
(2024年3月31日現在)[1]
従業員数 25名(2024年4月現在)
決算期 3月31日
主要株主 帝人
外部リンク https://www.meguro-kenkyujo.co.jp/
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株式会社帝人目黒研究所(ていじんめぐろけんきゅうじょ)は、大阪府大阪市中央区に本社を置く製薬会社である。1925年大正14年)創業。

会社概要

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事業内容は納豆菌及び乳酸菌医薬品健康食品飼料添加物等)の製造販売および輸出入。兵庫県加西市に加西工場を置いている。

前身の目黒研究所は故目黒庸三郎博士によって「大阪治療実験研究所」として設立。博士は1910年(明治43年)大阪府立高等医学校卒業後生化学を研究、後に伝染病研究所の志賀潔のもとで細菌学並び免疫学を修める。北里柴三郎が創設した北里研究所において、志賀とともに4年間研究に没頭する。1922年(大正11年)に渡欧し、ベルギーのパスツール研究所にてホリデー博士に、パリのパスツール研究所にてラモン博士の研修指導を受けた。帰国後1925年(大正14年)5月、大阪実験治療研究所を大阪市北区に開設したのを発祥とする。

沿革

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  • 1925年(大正14年) 大阪実験治療研究所(大阪市北区)創設
  • 1929年昭和4年) 乳酸菌製剤「ビオゼニン」発売
  • 1931年(昭和6年) 「ヂフテリーホルモワクチン」発売
  • 1937年(昭和12年) 目黒研究所と改称、 「ジフテリア血清」発売
  • 1945年(昭和20年) 戦火により目黒研究所焼失、 直に池田市神田町付属免疫所に移転
  • 1948年(昭和23年) 池田市満寿美町(現住所)に研究所新築、 「株式会社目黒研究所」に組織変更
  • 1950年(昭和25年)「発疹チフスワクチン」発売
  • 1952年(昭和27年) 乳酸菌製剤「ビオゼニン」発売再開
  • 1958年(昭和33年)「日本脳炎ワクチン」発売
  • 1968年(昭和43年) 多剤耐性乳酸菌「コンクエンテロポリアール」発売、 納豆菌「ビオナットミン」発売、 共に胃腸薬原料として製剤メーカーへ供給
  • 1977年(昭和52年) B型肝炎診断用キット「リバースセル」発売、 臨床検査薬市場へ参入
  • 1980年(昭和55年) 兵庫県加西市にGMP適合の新工場として「加西工場」完成、醗酵製剤、臓器抽出製剤(現在廃止)の生産体制拡充
  • 1997年平成9年) 丸石製薬株式会社の子会社となる
  • 2003年(平成15年) 加西工場の増設
  • 2014年(平成26年) 加西工場新館棟完成
  • 2014年(平成26年) 池田工場を廃止し加西工場に統合。本社を大阪市中央区へ移転
  • 2022年(令和4年) 帝人株式会社の子会社となり、株式会社帝人目黒研究所に商号変更

主要製品

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納豆菌
  • ビオナットミン(医薬品原料)
  • 納豆菌末(健康食品原料)
  • グローゲン11(飼料添加物等)
乳酸菌
  • コンクビオゼニン(医薬品原料)
  • 乳酸菌末(健康食品原料)
  • バラントール末(飼料添加物等)

脚注

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外部リンク

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