常林寺 (京丹後市)
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常林寺 | |
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所在地 | 京都府京丹後市大宮町下常吉350 |
位置 | 北緯35度33分27.0秒 東経135度04分32.5秒 / 北緯35.557500度 東経135.075694度座標: 北緯35度33分27.0秒 東経135度04分32.5秒 / 北緯35.557500度 東経135.075694度 |
山号 | 東光山 |
宗旨 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼仏[1] |
開山 | 1667年(寛文7年)[1] |
法人番号 | 3130005010994 |
常林寺(じょうりんじ)は、京都府京丹後市大宮町下常吉字サコにある曹洞宗の寺院[2]。詳名は東光山常林寺[3]。庵寺に、府下最大級の地蔵菩薩を本尊とする平地地蔵院があり[4]、毎年11月23日に「蓑着せ行事」を執り行う[5]。
歴史
[編集]当寺に伝わる記録に拠れば、曹洞宗の和尚・宗曇により1667年(寛文7年)に開山、1710年(宝永7年)の冬に常吉村小字毘沙門から現在地に遷座した[1]。1712年(正徳2年)に本堂と庫裡を再建、1718年(享保3年)に山号を東光山と改称した[1]。
1833年(天保4年)3月、常林寺八世勝音和尚は、3年の歳月をかけて広く喜捨を仰ぎ、上常吉の平地峠に平地地蔵院を建立する[4]。
1877年(明治10年)6月28日に民家の火災の影響を受け、本堂をはじめことごとくを焼失する[1]。この際、寺宝や古記録も失われ、現存していない[1]。1881年(明治14年)3月26日には庫裏が新築され、1885年(明治18年)3月10日には本堂が再建された[1]。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)4月21日、京都市立鳳徳国民学校から大宮町に学童疎開が行われ、男子が経典寺に、女子が常林寺に到着した[6]。鳳徳国民学校の児童は終戦後の10月21日まで約半年間滞在した[6]。
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常林寺に学童疎開した鳳徳国民学校の児童
境内
[編集]- 内陣
- 観音菩薩および薬師如来像を安置する[1]。
- 標柱
- 「不許葷酒入山門」と題する石柱で高さは1メートル34センチメートルである。「天保四年」の銘がある[2]。
- 供養塔
- 「三界万霊」「元禄七甲戌卯月八日」と刻む。高さ1メートル65センチメートル、幅60センチメートルの塔。「女人念仏講中」の建立[2]。
このほか、一宇の地蔵堂があり11躰の地蔵を祀り、墓地の参道にも地蔵を並べ、裏山には88躰の地蔵を祀っている[2]。裏山の地蔵は1918年(大正7年)3月に祀られた[1]。八十八カ所巡りと称して崇敬される[1]。
現地情報
[編集]京都府京丹後市大宮町下常吉350
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町長 中西喜右衛門、1982年、885頁。
- ^ a b c d 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町長 中西喜右衛門、1982年、585頁。
- ^ 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町長 中西喜右衛門、1982年、884頁。
- ^ a b 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町長 中西喜右衛門、1982年、887頁。
- ^ 京丹後市史編さん委員会『京丹後市史資料編「京丹後の伝承・方言」』京丹後市長 中山泰、2012年、67頁。
- ^ a b 奥丹後地方史研究会編集委員会『写真が語る明治・大正・昭和の丹後』文理閣、1991年、97頁。