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常皇后(じょうこうごう、1355年 - 1378年)は、明の懿文太子朱標の正室。朱標の追尊にともない皇后を追贈された。諱は美栄と伝わる。
功臣の常遇春と藍氏(藍玉の姉)の娘として生まれた。太子朱標にとつぎ、太子妃となった。洪武11年(1378年)11月、次男の朱允熥を産み、薨去した。父の常遇春と合葬された。
朱標と呂氏の子の建文帝が即位すると、孝康皇后と諡された。永楽帝が帝位につくと、太子妃に追降した。後に、弘光帝が南明の皇帝に即位すると、孝康皇后の諡号が復されあらためて追尊された。
- 朱雄英 - 虞王。9歳で死去した。
- 江都公主
- 公主[1]
- 朱允熥(呉王)
- ^ 宜倫郡主(永楽帝の時に郡主に降格された)と第三公主(早世)のうちのいずれか。