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常盤塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

常盤塚(ときわづか)は、常盤小六郎平盛時の墓。 常盤盛時が1591年(天正18年)6月23日に討死したあと建てられたもの。[1]

概要

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常盤盛時の出身は相州下川尻。子孫が民間に入り、文禄年間(1592年~1596何)頃の八王子に移住したと伝わる。[1] 八王子千人同心として八王子城主に仕えた。 『多摩文化・元八王子の研究』を参照すると、 常盤五兵衛平時定の二男、五左衛門の子孫が元八王子にいたとされている。[2]  天正18年(1591年) に建てられた盛時とされる墓跡の戒名は 廓□不味居士之墓であり、「居士」であることから、士分格であることがわかる。時定と盛時との関係性はわかっておらず、正確な出自も不明であるが、常盤盛時の出自とされる相模国には、桓武平氏常盤流北條氏(常盤家)が存在した。この常盤一族は、常盤時茂(北条 陸奥弥四郎 平 時茂)を祖とし、時範など、得宗家に倣って時の字を通字として使用していた。

脚注

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出典

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  1. ^ a b 『武蔵名勝図会』慶友社、2/1。 
  2. ^ 『多摩文化・元八王子の研究 第14号』多摩文化研究会。