幡山村
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はたやまむら 幡山村 | |
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廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
編入合併 幡山村 → 瀬戸市 |
現在の自治体 | 瀬戸市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 愛知郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 20.82 km2. |
総人口 |
5,313人 (1955年2月11日) |
隣接自治体 | 瀬戸市、愛知郡長久手村、東春日井郡旭町、西加茂郡猿投町、保見村 |
幡山村役場 | |
所在地 | 愛知県愛知郡幡山村大字菱野字中切1940 |
座標 | 北緯35度12分09秒 東経137度04分50秒 / 北緯35.20242度 東経137.08047度座標: 北緯35度12分09秒 東経137度04分50秒 / 北緯35.20242度 東経137.08047度 |
ウィキプロジェクト |
幡山村(はたやまむら)は、かつて愛知県愛知郡にあった村である。愛知郡の最北東部に位置していたが、現在は瀬戸市の南部に該当する[1]。
この地には古より本地村、菱野村、山口村の3つの村があり、中世以前は山田郡に属し豪族が住み着いた土地である。明治22年に本地村と菱野村が合併し、本地村にあった八幡社の「幡」と菱野村にあった熊野社の「野」から一文字を取って幡野村とした。この幡野村が明治39年に東隣りの山口村と合併し幡山村が誕生した。昭和の大合併まで存続したが、昭和30年に瀬戸市に編入され消滅した。村名は幡野村の「幡」と山口村の「山」から一文字ずつ取った合成地名である。
北南東の三方を丘陵地に囲まれ里山がある農村地帯であった。かつては陶磁器(瀬戸焼)生産の燃料として周辺の樹木が伐採され丘陵地が禿山となったが、治水対策で植林が行われた[2]。
瀬戸市への編入以降北部丘陵地に大規模な菱野団地が造成され、愛知環状鉄道線の開通で人口が急増した。旧村域の2018年4月1日現在の推計人口は40,543人。
2005年3月25日 - 9月25日に行われた2005年日本国際博覧会(愛・地球博)の瀬戸会場も旧村域である。
沿革
[編集]- 江戸時代末期、この地域は尾張藩領であった。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 本地村と菱野村が合併し、幡野村となる。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 幡野村と山口村が合併し、幡山村となる。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 瀬戸市に編入される。編入時の人口は5,313人。
神社・仏閣
[編集]- 山口八幡社
- 熊野神社
- 本地八幡社
- 梶田神社
- 宝泉寺
- 興福寺
- 仙寿寺
- 西光寺
- 宝生寺
- 長慶寺
- 本泉寺
交通
[編集]鉄道路線
[編集]- なし[3]