平壌神社
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平壌神社 | |
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所在地 | 朝鮮平安南道平壌府慶上町 |
主祭神 |
天照大神 国魂大神 |
社格等 | 国幣小社[1] |
創建 | 1913年(大正2年)[1] |
本殿の様式 | 神明造 |
例祭 | 10月2日[1] |
平壌神社(へいじょうじんじゃ)は、朝鮮平安南道平壌府(現・朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市)にあった神社である。旧社格は国幣小社[1]。
歴史
[編集]1913年(大正2年)1月1日に鎮座祭が行われ、1916年(大正5年)5月4日に正式な神社になった。1936年(昭和11年)9月に新しい社殿が落成し[1]、1937年(昭和12年)5月15日、慶尚北道大邱府の大邱神社とともに国幣小社に列格した[1]。1945年(昭和20年)、玉音放送により第二次世界大戦の日本の降伏が国民に伝えられた8月15日の夜、平壌神社は放火により焼失した[2]。その後、再建されることなく廃座された。
鎮座地は牡丹峰(ぼたんほう、モランボン)と呼ばれる小高い丘の南端で、平壌の景勝地である。1946年に平壌神社の跡地には牡丹峰劇場が建設されている[3][4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『国体神祇辞典』小倉鏗爾著 (錦正堂, 1940) - 国立国会図書館デジタルコレクション 1505頁(2018年1月30日閲覧)
- ^ 森田芳夫『朝鮮終戦の記録 : 米ソ両軍の進駐と日本人の引揚』巌南堂書店、1964年8月15日、182頁。NDLJP:3014647/107。
- ^ 「うまれかわる朝鮮――「北朝鮮紀行」より / 徐光霽」『新しい世界』第24号、日本共産党出版局事業部、1949年7月1日、35頁、NDLJP:3542933/19。
- ^ 城戸又一 編『素顔の社会主義国 : 十人のジャーナリストは報告する』東洋書館、1956年12月15日、140頁。NDLJP:2975357/74。