平山亮太郎
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平山 亮太郎(ひらやま りょうたろう、1904年7月30日 - 1971年2月15日)は、日本の経営者。野村不動産社長を務めた。
経歴
[編集]大阪府大阪市出身[1]。1929年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に野村證券に入社[1]。野村財閥の創始者である野村徳七にかわいがられ、指導を受け、1946年4月に取締役に就任し、1947年8月に常務、1952年8月に専務、1956年11月に副社長を経て、1959年6月に野村不動産社長に就任した[1][2]
大阪証券取引所理事、大阪証券業協会理事、京都大学講師、読売テレビ放送取締役なども歴任した[2][1]。
著書に「証券市場論講義」がある[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 人事興信所 1968, ひ83頁.
- ^ a b c 野村徳七のひざ元で育つ 平山亮太郎氏 市場経済研究所代表 鍋島高明2014年 3月8日 日本経済新聞
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年。