平山浪三郎
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平山 浪三郎(ひらやま なみさぶろう、1862年12月19日(文久2年10月28日)[1] - 1922年(大正11年)8月16日[2])は、日本の政治家(貴族院議員)、実業家、資産家[3]、篤農家[4]、青森県多額納税者[1][5][6]、青森県の大地主。族籍は青森県平民[1][6]。
人物
[編集]陸奥国津軽郡五所川原村(現・青森県五所川原市)出身。平山助六の長男[1][7][8]。1903年、家督を相続[1][7][8]。農業を営む[8]。1917年(大正6年)青森県多額納税者として補欠選挙で貴族院多額納税者議員に互選され、同年1月18日[9][10]から1918年9月28日まで務めた[2]。
五所川原銀行頭取[7][11]、陸奥鉄道、五所川原銀行、青森県農工銀行各取締役[1][11]などを務めた。
津軽地方の一大地主で、多額納税者である[8]。『大正人名辞典』によれば、「資産は田地四百町歩、山林二百町歩、株金、貨金、現金等を併せて百万円を超える」という[8]。住所は青森県北津軽郡五所川原町[1]。
家族・親族
[編集]- 平山家
- 父・助六(1841年 - ?、青森平民[1][6]、大地主[12])
- 妻
- 長男・又三郎[1](1882年 - ?、青森県多額納税者、青森商業銀行取締役)
- 四男・金三郎(1896年 - ?)[1]
- 五男(1897年 - ?)[1]
- 六男(1903年 - ?)[1]
- 四女・もと(1891年 - ?、青森、佐々木傳一郎の妻、伝一郎の大叔父は佐々木嘉太郎 (初代)[1])
- 五女・たけ(1893年 - ?、青森、佐藤久蔵の妻)[1]
- 六女・こと(1895年 - ?、貴族院多額納税者議員宮川久一郎 (2代)長男徳一郎妻)[1]
- 七女・たみ(1899年 - ?)[6]
- 九女・たき(1901年 - ?、青森、一戸虎三郎の三男宇三郎の妻)[6]
- 孫[6]
- 親族: 貴族院多額納税者議員 宮川久一郎 (2代)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『人事興信録 第4版』ひ40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月19日閲覧。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』219頁。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月17日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』453頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月17日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第17版』全国多額納税者 青森県之部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第6版』ひ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月19日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第5版』ひ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月17日閲覧。
- ^ a b c d e 『大正人名辞典』1103頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月18日閲覧。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、24頁。
- ^ 『官報』第1337号、大正6年1月19日。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 第25回』下編614-630頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月19日閲覧。
- ^ 『日本現今人名辞典』ひ12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
- 交詢社編『日本紳士録 第17版』交詢社、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第25回』商業興信所、1917年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。