平本平学
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平本 平学(ひらもと へいがく、文化7年(1810年)[1] - 安政5年8月12日(1858年9月18日))[2]は、日本の江戸時代末期(幕末)の武士(福井藩士)。旧姓は中根。諱は良戴(よしこと)[1]。初名は作野右衛門[2]。中根雪江の実弟。浅井八百里の従兄。和歌・国学にも通じた。
経歴
[編集]文化7年(1810年)、福井藩士中根衆階の子として生まれる。のちに母方の祖父の平本藤七郎[3]に養子入りし、天保6年(1835年)2月11日、跡を継ぐ(知行350石)[2]。福井藩第16代藩主に松平慶永が就任すると、兄の雪江や従弟の浅井八百里とともにこれを補佐し、藩政改革に参画する。嘉永5年(1852年)、平学と改名[2]。
安政5年(1858年)8月12日、志半ばで病死。享年49。平本家は義弟の但見が継いだ[2]。