平田力之助
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平田力之助 ひらた りきのすけ | |
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生年月日 | 1850年2月21日 |
出生地 |
伊勢国朝明郡 (現三重県四日市市) |
没年月日 | 1932年10月1日(82歳没) |
出身校 | 慶應義塾卒業 |
前職 | 商業 |
所属政党 | 立憲政友会 |
選挙区 |
(三重県第3選挙区→) 三重県郡部選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1900年11月 - 1903年12月11日 |
三重郡会議員 | |
大矢知村会議員 |
平田 力之助(ひらた りきのすけ、1850年2月21日(嘉永3年1月10日[1])- 1932年(昭和7年)10月1日[2][3][4][5])は、明治から大正期の農業経営者・実業家・政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]伊勢国[注釈 1]朝明郡、のちの三重県[2][3]三重郡大矢知村[1][4][5](現四日市市)で生まれる。漢学、英学、普通学を学び[1][5]、1888年(明治21年)慶應義塾を卒業[2][3][6]。農業、商業を営む[2][5]。
大矢知村会議員、学務委員、三重郡会議員、三重県会議員を務めた[1][2][3][5][6]。一貫して自由党系政党に所属し、地価修正、地租軽減に尽力した[6]。
和波久十郎の失職に伴い、1900年(明治33年)11月に実施された第6回衆議院議員総選挙三重県第3区補欠選挙に出馬して初当選し[7]、その後、第8回まで再選され、衆議院議員に連続3期在任し[2][3][5]、この間、政友会院内主事などを務めた[4]。その後、政界を引退した[4]。
国政選挙歴
[編集]- 第6回衆議院議員総選挙補欠選挙(三重県第3区、1900年11月)当選[7]
- 第7回衆議院議員総選挙(三重県郡部、1902年8月、立憲政友会)当選[8]
- 第8回衆議院議員総選挙(三重県郡部、1903年3月、立憲政友会)当選[8]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『新選代議士列伝』123頁では三河。