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平田力之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平田力之助
ひらた りきのすけ
生年月日 1850年2月21日
出生地 伊勢国朝明郡
(現三重県四日市市)
没年月日 (1932-10-01) 1932年10月1日(82歳没)
出身校 慶應義塾卒業
前職 商業
所属政党 立憲政友会

選挙区 (三重県第3選挙区→)
三重県郡部選挙区
当選回数 3回
在任期間 1900年11月 - 1903年12月11日


三重郡会議員

大矢知村会議員
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平田 力之助(ひらた りきのすけ、1850年2月21日(嘉永3年1月10日[1])- 1932年昭和7年)10月1日[2][3][4][5])は、明治から大正期の農業経営者・実業家政治家衆議院議員

経歴

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伊勢国[注釈 1]朝明郡、のちの三重県[2][3]三重郡大矢知村[1][4][5](現四日市市)で生まれる。漢学、英学、普通学を学び[1][5]、1888年(明治21年)慶應義塾を卒業[2][3][6]。農業、商業を営む[2][5]

大矢知村会議員、学務委員、三重郡会議員、三重県会議員を務めた[1][2][3][5][6]。一貫して自由党系政党に所属し、地価修正、地租軽減に尽力した[6]

和波久十郎の失職に伴い、1900年(明治33年)11月に実施された第6回衆議院議員総選挙三重県第3区補欠選挙に出馬して初当選し[7]、その後、第8回まで再選され、衆議院議員に連続3期在任し[2][3][5]、この間、政友会院内主事などを務めた[4]。その後、政界を引退した[4]

国政選挙歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『新選代議士列伝』123頁では三河。

出典

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  1. ^ a b c d 『人事興信録 初版』1101頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』537頁。
  3. ^ a b c d e 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』52-53頁。
  4. ^ a b c d 『立憲政友会功労者追遠録』479-480頁。
  5. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』380頁。
  6. ^ a b c 『新選代議士列伝』123頁。
  7. ^ a b 『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』238頁。
  8. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』14頁。

参考文献

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  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
  • 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。