平野次郎
ひらの じろう 平野 次郎 | |
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生誕 |
1940年12月19日 大日本帝国・東京府 (現: 日本・東京都) |
死没 |
2024年1月12日(83歳没) 日本・東京都 |
出身校 | 国際基督教大学 |
職業 | ジャーナリスト、学者 |
平野 次郎(ひらの じろう、1940年〈昭和15年〉12月19日 - 2024年〈令和6年〉1月12日)は、日本のジャーナリスト、学者。日本放送協会 (NHK) 記者、解説委員を経て、学習院女子大学特別専任教授。荘田平五郎の曾孫。
人物
[編集]1940年(昭和15年)、銀行員・平野亮一郎の子として東京府(現:東京都)に生まれる。麻布高等学校を経て、国際基督教大学卒業。コーネル大学大学院留学。
経歴
[編集]コーネル大学大学院に2年間留学。1965年(昭和40年)、帰国してNHKに入局した。初任地は横浜放送局。報道局政治部記者、ワシントン支局特派員を歴任した。
1980年(昭和55年)からは、同局の情報番組『海外ウィークリー』にテレビ出演、幸田シャーミンとともに番組の進行を務めた。また、ニュース番組『NHKニュースワイド』、『ワールドニュース』への出演、同『NHKニュースTODAY』のアンカーマンなどとしても広く知られることとなった。
1991年(平成3年)には同局の解説委員に就任。国際問題を専門に担当し、定年退職後の2004年(平成16年)3月まで同職を務めた。同4月、学習院女子大学特別専任教授に就任。シンポジウムコーディネーターなどとしても活動した。海外TVドラマ『ザ・ホワイトハウス』の日本語版では監修を務めた。
2024年1月12日に肺炎のため東京都の病院で死去。83歳没[1]。
家族
[編集]実兄は、元通産官僚、リース事業協会副会長の平野達郎。母方曽祖父は、元三菱財閥最高幹部の荘田平五郎。岳父は元日本電気名誉会長小林宏治。父方大伯父に篠原英太郎。
年表
[編集]- 1959年(昭和34年)- 麻布高等学校卒業
- 1963年(昭和38年)- 国際基督教大学卒業、コーネル大学大学院留学
- 1965年(昭和40年)- NHK入局
- 1980年(昭和55年)4月 -「海外ウィークリー」担当
- 1983年(昭和58年)-「NHKニュースワイド」外信キャスター
- 1984年(昭和59年)6月 - スイス・ジュネーブ支局特派員兼支局長
- 1987年(昭和62年)6月 - 帰国、「ワールドニュース」担当
- 1988年(昭和63年)4月 -「NHKニュースTODAY」のアンカーマン
- 1990年(平成2年)- ヨーロッパ総局長(ロンドン)
- 1991年(平成3年)- 帰国、NHK解説委員室
- 2001年(平成13年)3月 - NHKを定年退職、NHKプロモーションに所属し引き続き解説委員
- 2004年(平成16年)
- 3月 - 解説委員退任
- 4月 - 学習院女子大学別専任教授
- 2024年(令和6年)1月12日 - 死去[1]
NHK時代の出演番組
[編集]- 海外ウィークリー(1980年4月〜1983年3月)
- NHKニュースワイド 外信キャスター(1983年4月〜1984年5月)
- ワールドニュース(1987年6月〜1988年3月)
- NHKニュースTODAY アンカーマン(1988年4月〜1990年3月)
- バラエティーざっくばらん(1994年4月〜1996年3月)
- 3か月英会話「英語の中の20世紀」(1998年10月〜12月)
- NHK人間講座「1998ノーベル賞 21世紀の英知」案内役(1999年7月〜9月)
- 英会話 ドラマでリスニング「新GOAL!青春のロンドン・レンジャーズ」講師(2003年4月〜9月)
主な著作
[編集]- 英語はお経!? TBSブリタニカ 1985年
- テレビニュース 主婦の友社 1989年
- ネコバンが一番〜ジロさんの早口巷段〜 角川書店 1990年
- ままならぬ人生だからこそ 高島忠夫 共著 講談社 1995年
- アメリカ合衆国大統領と戦争 青春出版社 2002年
- 公共放送BBCの研究 原麻里子・柴山哲也 編著 ミネルヴァ書房 2011年
※ 他に週刊テレビ雑誌で「地上(ここ)より永遠(とわ)に」というコラムを連載したことがある。
脚注
[編集]- ^ a b “ジャーナリスト平野次郎さん死去 元NHKキャスター”. 中日新聞Web (2024年1月16日). 2024年1月16日閲覧。