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広場重綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
広場重綱
時代 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
改名 広場重綱→鈴木重綱
別名 通称:休蔵
主君 豊臣秀長島津義弘
氏族 広場氏
父母 父:広場三河守
兄弟 男子、重綱
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広場 重綱(ひろば しげつな)は、安土桃山時代武将鷹師島津氏の家臣。

略歴

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豊臣秀吉旗本広場三河守の次男として誕生。

天正15年(1587年)、島津氏が豊臣氏に降伏し、翌天正16年(1588年)に上洛した島津義弘豊臣秀長と親しくなると、天正17年(1589年)義弘が秀長に重綱を所望する。それにより重綱は義弘の家臣となり、また、その鷹師ともなった。

その後は義弘に従い、文禄・慶長の役関ヶ原の戦いにも従軍し、薩摩国へ帰国後は義弘の膝元である加治木[1]へ移り住んだ。後年は姓を鈴木に改めている。

脚注

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  1. ^ 現・鹿児島県姶良郡加治木。

出典

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  • 本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)