広島レクイエム
「広島レクイエム」(ひろしまレクイエム、英:HIROSHIMA REQUIEM for Strings)は、糀場富美子が1979年に作曲した弦楽合奏曲[1]。完成の翌年に広島市に寄贈され、1985年に改訂された[2]。当初は「レクイエム広島」というタイトルであったが、後に「広島レクイエム」と改められた[3]。
概説
[編集]1979年、糀場は日本弦楽指導者協会理事の中村哲二に依頼され、「広島レクイエム」を作曲[4]。1980年に演奏される予定であったが、技術的に難しく延期になり、曲は広島市に寄贈された[2]。
1985年、指揮者レナード・バーンスタインが被爆40周年を悼んで企画した広島平和コンサートにて、バーンスタインの選曲により演奏されることになり、糀場は曲の前半を大幅に改訂する[2][4]。日本初演は8月6日、指揮は大植英次、ECYO(現在のEUユース管弦楽団)により行われた[2]。バーンスタインが来日するというのでその演奏会を聴きにきていた指揮者小澤征爾が曲を気に入り、ボストン交響楽団で演奏した[5]。
両親共に広島生まれである糀場は、「この曲は、いつかは絶対に書かなければいけないと思っていた曲なのである。」[2]と語っており、糀場の家族やその周囲の人々から聞かされた原爆のおそろしい体験談を通じて書かれた[6]のがこの作品である。
20年後の2005年に糀場が作曲した「未風化の7つの横顔~ピアノとオーケストラのために」では、この「広島レクイエム」の祈りのモチーフを踏襲している[7]。
曲の構成
[編集]Molto Lento~Lento~Poco Più Mosso~Lento~Molto Lento。一曲を通しての演奏時間は約11分となっている[8]。
この曲はレクイエムと名づけられているが、ミサなどにおけるレクイエムとは異なり、広島における原爆犠牲者を弔う曲となっている。編成はヴァイオリンソロを伴う弦楽合奏で、終曲部に祈りをこめたアンティークシンバルが4回鳴らされる[8]。このアンティークシンバルは1985年の改訂時に追加されたものである[9]。
曲の前半部分は、原爆で傷つき死んでていった人々のうめき、悲しみを表しており、曲の後半部分は、その人々がその人々が苦しみからのがれて、神の元へ赴き、神のひざもとでやすらかに眠れるようにとの祈りである[2]。
なお、この曲のスコアにおけるスラーは全てフレージングスラーでかかれており、ボウイングを示すものではない[8]。
主な演奏
[編集]録音
[編集]- 糀場富美子 作品集—広島レクイエム—現代日本の作曲家シリーズ 第53集(FONTEC FOCD2583) 2018.3[16]
参考文献
[編集]- 「広島平和コンサート」プログラム 2022年11月19日閲覧。
脚注
[編集]- ^ 『日本の作曲家:近現代音楽人名事典』日外アソシエーツ、2008年、260頁。ISBN 978-4-8169-2119-3。
- ^ a b c d e f 糀場富美子『広島レクイエム』 初演時におけるプログラムノートより
- ^ 西岡昌紀『原爆の父オッペンハイマーはなぜ死んだか : 長崎に原爆が落とされた謎を解く』飛鳥新社、2021ー10、187頁。ISBN 978-4-86410-770-9。
- ^ a b c 原田康夫、糀場富美子 (2005-08). “原田康夫のオー・ペラペラ対談(第26幕)ゲスト 作曲家・東京音楽大学教授 東京藝術大学講師 糀場富美子 広島レクイエム誕生秘話、バーンスタインが認めた作曲家”. ビジネス界 (広島: 展望社) 25 (8): 38-44.
- ^ 糀場富美子、道下京子 (2001-10). “大植英次と故郷、広島”. 音楽現代 31 (10): 130.
- ^ 糀場富美子『広島レクイエム』 全音出版楽譜出版
- ^ a b 「広島レクイエム:糀場富美子作品集」CDライナーノーツ、FOCD2583
- ^ a b c 糀場富美子 作曲『広島レクイエム : 弦楽合奏のための』全音楽譜出版社、2003年2月、4頁。ISBN 4-11-900004-4。
- ^ 『「広島平和コンサート」プログラム』広島平和コンサート実行準備委員会、1985年8月6日、20頁 。2022年11月19日閲覧。
- ^ “euyo-brochure-summer-1985.pdf”. EUYO. 2022年12月2日閲覧。
- ^ “euyo-brochure-hiroshima-peace-concert-1985.pdf”. EUYO. 2022年12月2日閲覧。
- ^ 西岡昌紀『原爆の父オッペンハイマーはなぜ死んだか』飛鳥新社、193頁。
- ^ 糀場富美子 (1995-11). “サンタフェ室内楽音楽祭に参加して”. 音楽芸術 53 (11): 96-97.
- ^ 糀場富美子 (1996-02). “人種の坩堝の地での《レクイエム広島》演奏--ミネソタ・オーケストラを訪ねて”. 音楽芸術 54 (2): 88-90.
- ^ 西岡昌紀『原爆の父オッペンハイマーはなぜ死んだか』飛鳥新社、188頁。
- ^ “糀場富美子 作品集—広島レクイエム—現代日本の作曲家シリーズ 第53集 | フォンテック fontec web shop powered by BASE”. フォンテック fontec web shop. 2022年10月22日閲覧。