広木宿
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広木宿(ひろきじゅく)は、武蔵国那賀郡広木村、川越児玉往還にあった宿場[1]。現在の埼玉県児玉郡美里町の広木地区にあたる。
『新編武蔵風土記稿』の「広木村」には、「当所は川越通、信州岩村田宿[注釈 1]への通路にして榛沢郡原宿[注釈 2]へ2里寄居町へ2里半及び児玉郡八幡山町へ30町余の人馬の継立をなす」とある[1]。
最寄り駅
[編集]史跡・みどころ
[編集]- さらし井 - 埼玉県指定旧跡[2]
隣の宿
[編集]- 原宿村(小前田宿広木宿の間)
- 武蔵国榛沢郡原宿村(現深谷市武蔵野原宿交差点近辺)。前述の通り『新編武蔵風土記稿』の「広木村」には「当所は(中略)榛沢郡原宿へ2里(中略)人馬の継立をなす」とあり[1]、同「原宿村」に「今も脇往還にて南は小前田村へ18町北の方広木村へ2里の行程にて少しく人馬の継送りをなせり」[3]、同「小前田村」に「原宿(中略)等の数村へ又馬の継立をなせり」[4]、とある。小前田村より古くから栄えたとされる[5]。古鎌倉街道沿いに宿並みを成したのが名称の由来という[3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 広木村.
- ^ 美里町の文化財.
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 原宿村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 小前田村.
- ^ 本庄市教育委員会 2013, p. 8.
参考文献
[編集]- 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ236那賀郡ノ2.広木村、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764012/13。
- 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ233榛沢郡ノ4.原宿村、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764011/99。
- 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ234榛沢郡ノ5.小前田村、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764011/102。
- 本庄市教育委員会『本庄市の鎌倉街道と中山道』本庄市教育委員会文化財保護課〈本庄市郷土叢書 第2集〉、2013年3月。OCLC 855411278 。2019年9月17日閲覧。
- “美里町の文化財”. 美里町ホームページ. 2019年9月16日閲覧。