広瀬久光
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広瀬 久光(ひろせ ひさみつ、天保10年5月13日(1839年6月23日) - 明治43年(1910年)8月11日)は山梨県の名望家、戸長、県会議員。
地域の戸長、区長などを歴任、また東山梨郡書記に任用されるなど、地方自治や農政の進展に貢献した。明治13年(1880年)から二期4年間、県会議員に在任活躍し、特に青梅街道の開発に最も力を注いでいた。また、自家の屋敷は「於曽屋敷」として昭和38年(1963年)9月9日に山梨県指定の史跡に指定されている。
略歴
[編集]- 天保10年(1839年)5月13日 - 甲斐国山梨郡下於曽村に生誕
- 明治5年(1872年)11月 - 下於曽村 戸長
- 明治8年(1875年)4月14日 - 七里村戸長
- 明治9年(1876年)5月11日 - 青梅街道開発世話掛
- 明治12年(1879年)1月7日 - 東山梨郡書記、同郡徴兵議員(同年3月)、同郡学区取締兼務(同年6月24日)
- 明治13年(1880年)6月 - 明治天皇山梨県御巡幸に伴う「奉送迎東山梨郡人民総代」
- 明治13年(1880年)7月3日 - 山梨県会議員に当選
- 明治17年(1884年)2月25日 - 山梨県会議員に再選
- 明治17年(1884年)9月29日 - 七里村奥野田村連合戸長
- 明治20年(1887年)9月25日 - 東山梨郡所得税調査委員
親族
[編集]- 長男 広瀬久政(慶応元年(1865年)2月16日生) - 山梨県会議員、衆議院議員、娘婿の父は貴族院議員 内藤宇兵衛
- 次男 広瀬貢(慶応3年(1867年)10月23日生)- 七里村村会議員、七里村村長
- 三男 雨宮亘(明治2年(1869年)7月26日生)- 雨宮敬次郎の長女「輝子」と婚姻し雨宮亘となる。
- 四男 風間久高(明治4年(1871年)8月28日生) - 風間懐慧(酒造業)の長女「いち」と婚姻し風間久高となる
- 五男 若尾璋八(明治6年(1873年)7月27日生) - 若尾民造の次女「きよの」と婚姻し若尾璋八となる。東京電燈社長、衆議院議員、貴族院議員。
- 六男 広瀬為久(明治9年(1876年)2月生)- 衆議院議員、東京電燈取締役
- 長女 網野まつの(明治11年(1878年)4月生) - 網野善一(網野善彦の祖父)と婚姻
- 七男 広瀬猛(明治15年(1882年)1月5日生) - 陸軍中将、陸軍大学校校長
- 八男 神戸久誠(明治18年(1885年)6月9日生) - 神戸挙一の長女「松枝」と婚姻し神戸久誠となる
→詳細は「関連系図」を参照