広瀬氏
広瀬氏、廣瀬氏(ひろせし)は、日本の氏族である。日本全国に分布しており、主なものとして下記の流れがある。
清和源氏武田氏族
[編集]影房流(彦根藩士)
[編集]甲斐武田家が長篠の戦いで滅びたのち、廣瀬景房は徳川家康に取り立てられ、井伊直政付きとなった。江戸時代は、彦根藩士となった。
正直流(日田商家)
[編集]広瀬氏 (日田広瀬氏) | |
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丸に酢漿草 | |
本姓 | 清和源氏義光流武田氏族 |
家祖 | 広瀬貞昌 |
種別 |
地下人 平民 |
出身地 | 不明(甲斐国・摂津国堺・筑前国博多とも) |
主な根拠地 |
豊後国日田 大分県 |
著名な人物 |
広瀬月化 広瀬三郎右衛門 広瀬淡窓 広瀬久兵衛 広瀬旭荘 広瀬青邨 広瀬林外 広瀬正雄 広瀬勝貞 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
先祖は、甲斐国武田氏重臣の板垣氏または山県氏家臣、広瀬郷左衛門尉景房の弟広瀬将監正直とされる。初代広瀬五左衛門貞昌は、1673年(延宝元年)に博多から天領であった豊後国日田(現在の大分県日田市)に移り、掛屋「堺屋」を開業。後に屋号を「博多屋」とした。
咸宜園を開いた淡窓をはじめ、その子孫に、儒学者、俳人が多く出た。月化・桃秋(三郎右衛門の号)・淡窓・秋子・南陔(久兵衛の号)・旭荘・青邨・林外は、広瀬八賢と称される。また、淡窓のあとを継いだ旭荘・青邨・林外は、三広と呼ばれる。
近現代においては、元郵政相の広瀬正雄や富士紡績社長となった広瀬貞雄、大分県知事の広瀬勝貞など政界、経済界に名を残す。
家系
[編集]広瀬貞昌 ┃ 源兵衛 ┃ 久兵衛 ┣━━┓ 月化 三郎右衛門 ┣━━┳━━┳━━┓ 淡窓 秋子 久兵衛 旭荘 ┃ ┃ ┃ 青邨 源兵衛 林外 (養子) ┃ ┃ 七三郎 貞文 ┃ 貞治 ┃ 正雄 ┣━━┳━━┳━━┓ 貞雄 道貞 勝貞 興貞
著名な人物
[編集]- 広瀬月化 - 第4代当主。俳人。
- 広瀬三郎右衛門(桃秋) - 第5代当主。俳人。月化の弟。
- 広瀬淡窓 - 儒学者。咸宜園を開いた。三郎右衛門の長男。
- 広瀬久兵衛(南陔) - 第6代当主。淡窓の弟(三郎右衛門の三男)。経世家。
- 広瀬旭荘 - 儒学者。淡窓のあと、咸宜園を継ぐ。久兵衛、淡窓らの末弟(三郎右衛門の八男)。
- 広瀬青邨 - 儒学者。旭荘のあと、咸宜園を継ぐ。淡窓の養子。
- 広瀬林外 - 儒学者。青邨のあと、咸宜園を継ぐ。旭荘の子。
- 広瀬貞文 - 衆議院議員、官吏。咸宜園8代塾頭。青邨の子。
- 広瀬正雄 - 第10代当主。元日田市長、元衆議院議員、元郵政大臣。
- 広瀬貞雄 - 第11代当主。富士紡績社長。
- 広瀬道貞 - テレビ朝日顧問、日本民間放送連盟(民放連)会長。
- 広瀬勝貞 - 元大分県知事、元経済産業事務次官。
- 広瀬興貞 - 興銀証券常務。
飛騨国の広瀬氏
[編集]広瀬氏 | |
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丸に梅鉢、丸に木瓜、丸に蔦 | |
本姓 | 藤原北家利仁流 |
家祖 | 不明 |
種別 | 武家 |
出身地 | 飛騨国吉城郡広瀬郷 |
主な根拠地 | 飛騨国吉城郡広瀬郷 |
著名な人物 |
広瀬利治 広瀬宗域 広瀬宗直 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
飛騨国吉城郡広瀬郷を発祥とし、藤原北家利仁流の末裔とされる。
戦国時代、広瀬宗域は広瀬城(田中城とも)に拠って三木氏に属すが、永禄7年(1564年)6月の第五次川中島の戦いでは武田氏に属した。天正11年(1583年)、姉小路頼綱によって宗域が殺害されると、子(または弟とも)の宗直は越前に逃れて金森長近を頼り、天正13年(1585年)には長近率いる飛騨征伐軍の先鋒を努めた(飛騨征伐)。しかし旧領が回復されないことに業を煮やした宗直は江馬時政、鍋山左近太夫ら飛騨牢人衆は姉小路家旧臣の三木国綱こと入道三沢を旗頭として擁立して一揆を起こすが(三沢の乱)、その日のうちに一揆は鎮圧された。その後、宗直は信濃に落ち延びたのち、井伊氏に仕えたという。