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広部賢二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

広部 賢二廣部 賢二[1][2][3]、ひろべ けんじ、1897年明治30年)8月[2] - 1985年昭和60年)7月24日[4])は、日本会社役員千代田火災海上(後のあいおい損害保険)専務。

人物

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東京出身[1]広部銀行頭取広部清兵衛の二男[2][3][5]。広部鉱業社長広部清一郎の弟[5]1923年東京帝国大学経済学部商業学科を卒業[1]。広部合名会社代表社員[6]、広部銀行千駄ヶ谷支店長などをつとめる[7]。千代田火災保険に入り取締役、常務、専務などをつとめる。

東京土地の大株主であった[8]。趣味はスポーツ[2]、運動[3]。宗教は真宗[2][3]。東京在籍[2]、住所は東京都大田区馬込町西。

家族・親族

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広部家
  • 妻(東京、実業家・渡辺亨の六女)[2][3]
  • 長女[2][3]
  • 岳父の渡辺亨は、千葉の渡辺紋右衛門の長男として生まれ、明治19年東京専門学校法律科を卒業し日報社に入り、東京株式取引所支配人、理事を経て明治39年に支那營口水道電気、鬼怒川水力電気、ボルネオ護謨、大谷川水力、電陽社などの重役を務めた[9]

脚注

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  1. ^ a b c 『東京帝国大学一覧 從大正12年 至大正13年』卒業生姓名 経済学部 経済学士 商業学科20 - 21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第13版 下』ヒ76頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 下』ヒ70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  4. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1050頁。
  5. ^ a b 『人事興信録 第8版』ヒ70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  6. ^ 『日本全国諸会社役員録 第36回』東京府 上編313頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月21日閲覧。
  7. ^ 『銀行会社要録 附・役員録 第23版』東京府26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月20日閲覧。
  8. ^ 『銀行会社要録 附・役員録 第26版』東京府86頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月22日閲覧。
  9. ^ 渡辺亨『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

参考文献

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  • 東京興信所編『銀行会社要録 附・役員録 第23版』東京興信所、1919年。
  • 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正12年 至大正13年』、1913 - 1924年。
  • 東京興信所編『銀行会社要録 附・役員録 第26版』東京興信所、1922年。
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第36回』商業興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。