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庄田安信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
庄田安信
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文10年(1541年
死没 寛永6年2月22日1629年3月16日
改名 吉武氏、庄田氏
別名 安次(諱)、五六郎、三大夫
戒名 松声
墓所 浄福寺(京都市上京区
幕府 江戸幕府旗本
主君 赤井忠家木村重茲徳川家康
父母 庄田安守、赤井忠家の娘
安村
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庄田 安信(しょうだ やすのぶ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。当初は吉武氏を称した。

生涯

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丹波氷上郡の武士。家伝によると父安守三河松平氏に仕えたが、病により致仕して旧領で隠居したといい、安信はその三男。当初は丹波赤井氏に従い、次いで豊臣秀吉家臣の木村重茲に仕えた。

慶長5年(1600年)からは徳川家康に出仕し、慶長6年(1601年日向佐土原城番、次いで伏見城番。慶長11年(1606年大和山辺郡宇智郡に2000石を与えられた。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では旗奉行を務めた。同年に隠居して京都浄福寺に入って松声と号し、そこで晩年を過ごした。嫡子の安村小田原征伐で戦没していたため、孫の安照が家督を継いだ。

元禄赤穂事件浅野長矩を庭先で切腹させたことで知られる安利は玄孫。

出典

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